ページ上に戻る ページ上に戻る

附属高等法政教育研究センター

menu

 イベント詳細

シンポジウム・研究会の記録

2000.5.11 掲載

開設記念シンポジウム「スコットランド地方分権と地域自立戦略の展開」

ご案内

イゾベル・リンゼイ●ストラスクライド大学講師
      翻訳 ● 山口二郎

第1部 講 演

第2部 シンポジウム

主催:高等法政教育研究センター・北海道対外文化協会

■ 第1部  講 演 ■

『スコットランド地方分権と地域自立戦略の展開』 ● イゾベル・リンゼイ

はじめに 私と分権運動とのかかわり

始める前に、私を招待してくださった方々にお礼を申し上げます。政治改革を実現するためには、改革を進める人々がネットワークを作ることこそお互いにとって有益だと思います。その良い機会を今回つくってくださった皆様方にお礼を申し上げます。

私がそもそも政治活動にかかわるようになった最初のきっかけは平和運動への参加でした。そして、それは偶然にも日本とかかわりのあることでした。非常に悲劇的な事柄から私の政治活動が始まりました。

私の父は、広島に原爆が投下された直後、英国陸軍の一員として駐屯し、広島に一時期滞在していました。そのときに私の父は、日本人の家族から非常に温かいもてなしを受けました。そして、父がスコットランドへ帰ってきて、幼い私に、父が広島の原爆の爪跡について見たままを話してくれました。これが私にとって非常に強い衝撃となりました。それがきっかけで私は核兵器の問題について何かをしなければと感じて、運動をはじめました。私が最初に平和運動でデモに参加したのは14歳のときでした。以来、平和運動にはずっと関わってきました。人が社会問題のある側面に関心を抱くと、自然に関連する他の問題にも関心を持つようになるものです。

ここで、スコットランドにおける最近の展開に関してお話する前に、なぜ政治の権力構造を変えていく必要があるのか、それをみずからに問う必要があると思います。

政治の権力構造、いわゆる政治の変革を実現していくことには、3つの大切な理由があると思います。1つは、より良い代表システムを作り出すためです。それから2つ目は、よりよい政策形成を可能にするため、それから3つ目は、独自性、アイデンティティを強化するためです。

政治的分権(political decentralization)は、中央から遠く隔たった地域や独自の社会的、政治的文化を持った地域にとって、より良い代表システムを作り出すことを可能にするのです。こうした条件はすべてスコットランドに当てはまりました。北海道にも、いくつかの条件は当てはまるのではないでしょうか。

政治的分権は、政策形成の仕組みをよりよいものにすると思います。なぜなら、市民は政策形成により容易に接近することができ、それによって市民の声が政策形成に反映されるからです。また、政治家はより柔軟に、より速くそうした声に反応することになるのです。

第3に、アイデンティティの問題に関連してですが、私は、グローバライゼーションが拡大しても、地域的アイデンティティの必要性が減少することにはならないと思っています。むしろ、反対です。というのは、人間というのは強く、安定したアイデンティティを必要とするからです。安定したアイデンティティによって、私たちは他者を尊敬することができるのです。不安定なアイデンティティはむしろ、他者に対する憎悪を作り出すものです。

 分権を求める運動の始まり

それでは、ここでスコットランドにおいて地方分権という目的を、我々がどのようにして達成できたのか、お話ししていくことにします。そもそもスコットランドで地方分権という声が出てきたのは、19世紀末にさかのぼります。そして、それについてさらに具体的に活発に話し合いが行われ出したのが1960年代からになります。

60年代になぜ分権という声が高まっていったのか、その理由として、まずスコットランドが相対的に衰退しているという感覚がありました。この時期は、まさに大きな人口流出の時代で、基幹的産業が衰退していきました。

60年代から70年代にかけてスコットランドの分権に非常に積極的に動いていたのがスコットランド国民党という党でした。このスコットランド国民党は、スコットランドを完全独立させるという目的をもっていました。そして、スコットランド国民党の完全独立という声に押されて、当時の労働党政権は、限定された権限を与えられたスコットランド・アセンブリー(Scotland Assembly:訳注 アセンブリーはパーリアメントよりも弱い権限をもった議会の意味。特に課税に関する権限は持たない)という議会を創設するということを、公約するにいたりました。

1979年にスコットランド議会を発足させるべきか否かという住民投票が行われました。賛成票は52%と、過半数はとりましたが、全有権者の半数以上という基準をクリアすることが出来ず、スコットランド議会の構想は挫折しました。そしてその直後、保守党のサッチャー政権が始まりました。この政権は、初めから地方分権に対しては非常に強い反対を示していました。

この時期は、とても暗い時期でしたが、私たちは多くの政党や社会のさまざまな領域から人を集めて、スコットランド議会設置のキャンペーンをはじめることにしました。なぜなら、79年の住民投票では、スコットランド議会を支持する人たち自身の中での内輪もめ、意見の対立が支持者を少なくしたという教訓があったからです。このスコットランド議会キャンペーンは、社会の幅広い分野の人々を呼び集め、お互いに話し合い、同意をしながらスコットランド議会設立に向けて運動していこうという運動でした。

 憲政会議の立ち上げ

そして、私たちは改革の枠組みを決める憲政会議を設立したいと考えていました。しかし、機はまだ熟していませんでした。87年に保守党が3回連続の勝利をおさめた時、初めて運動の機が熟したように思えます。保守党に3回連続の勝利を許したほど弱体化した野党は、もはやそれぞれの面子にこだわってほかの党とは協力できないというわがままを言っていられる状態ではなかったからです。この点は、日本の政治状況にも当てはまるのではないかと私は見ております。

スコットランド憲政会議で採択すべき改革案を準備するため、私たちは各小委員会を設けました。この委員会の目的は、あらゆる社会の中の様々な立場や職業の人たちの良識的意見を集めることにありました。そして、この良識ある意見を集めるために私たちはどういう分野の人に声をかけたかといいますと、スコットランドから選出された国会議員、ヨーロッパ議会議員、そして地方自治体の代表者、労働組合、さらに教会の代表者、各女性団体、少数民族グループなど、考えられるだけ多くの市民団体の人たちに呼びかけ、そして意見を聞きました。

そして、ここで私は強調したいのですが、そのときに大変重要な役割を果たしてくれたのがスコットランド労働組合です。このスコットランド労働組合によっていろいろな社会の団体が集まってきました。スコットランドの労働党および自民党の国会議員たち、小さいながら緑の党、そして、ほとんどすべての市町村が我々の運動を支持してくれました。

当初はスコットランド国民党も私たちの運動に参加してくれていたのですが、このスコットランド国民党は後にここから離れています。彼らが離れた理由は、彼らが目的とするスコットランド完全独立ということと私たちの考えが合わなかったためです。党の主張から妥協することを嫌って国民党は後に離れています。

そして、この憲政会議を運営するための財政はこの運動に賛成する各党、そして公益寄付金によってまかなわれました。そして、運営事務局の方は自治体の代表者が担ってくれました。

憲政会議を始めた当初から、私たちの中では、多数決でものごとを決めるということはしない、すべて合意の上で物事を運ぶという基本原則を取り決めていました。なぜなら、少数の人々を自らが望まないことに無理やり引きずり込むことは避けるべきだと思ったからです。このやり方は非常に時間がかかりますが、大変賢明な方法だと私は信じています。誰も自分の意見を抑圧されたと感じることがないからです。

そして、92年の総選挙までには、この憲政会議で論じるべき分権の骨格に関して参加者がほとんど合意した基本的枠組みはほぼ出来上がっていました。そして、この地方分権の基本的枠組みを構想する際に非常に大きな役割を果たしたのが、市民グループの方たちでした。この市民グループの方たちの存在によって政治家が非常に協力的になってきました。政治家というのは市民の前ではお行儀をよくするものなので(笑い)、市民グループが非常に大きな役割を果たしてくれました。

この92年の総選挙では、私たちは労働党の勝利を期待したのですが、再び保守党が勝ってしまいました。私たちにとっては、この92年はとても厳しい時期でした。しかし、そこであきらめずに、デモをしたりセミナーを続けたり、そして私たちに非常に協力的だった報道、新聞を使って、私たちの地方分権に対する人々の関心と支持を持続させるよう努力してきました。また、我々は野党の政治家たちを分権の提案に強く結びつけるよう全力をあげました。個々の議員から分権の提案に賛同する署名をとりました。それだけではなく、野党が政権を握ったならば1年以内にスコットランド地方分権の法案を提出するという約束まで取り付けました。ですから、これ以上自分たちに引き寄せられなくらい近くまで、政治家たちを私たちの運動に引き寄せたのです。

そのころ、現在の首相トニー・ブレア氏が労働党の党首選挙の際にスコットランドを訪れました。すかさず私たちはその機会を使って、ブレア氏にも直接、「あなが党首になり、そして首相になったときには、一年以内に地方分権改革の立法を実現する」という約束をせまり、承諾を得ました。ブレアがもしこれを拒否していれば、スコットランドにおけるブレアの支持はとても小さなものにとどまっていたでしょうが、彼はこの約束をしたために、多くの支持をスコットランドでも獲得しました。

政権交代と分権改革の急展開

そして、97年の総選挙で労働党が圧勝しました。首相になったブレア氏は、自分の約束どおりにスコットランド地方分権の立法を実現しました。そして(79年以来の)第2回目の住民投票を迎えました。この時は、今まで地方分権には非常に消極的な態度を示していたスコットランド国民党も、私たちを支持してくれました。そして、各市民グループ、市民団体も、この住民投票のためのいろいろな運動をくりひろげました。そして、その結果、第2回目の住民投票ではスコットランド地方分権は75%という高い支持率を得て、採択されました。これにより、スコットランド議会が設立されました。

私たちの経験から得た第一の教訓は次のようなことです。政治を変えるためには、まず変化を求める人々を結束させるための土台を十分に準備しておくことがきわめて重要だということが言えます。そして、政治家だけではなく、市民社会の幅広いな分野の人々を幅広い合意形成の過程に巻き込むことが重要です。

ちょうど1年前に、スコットランド議会の最初の選挙が行われました。ここで、私たちが分権運動の中から目指してきて、ある程度成功した課題、つまり、女性の代表を増やすということについて触れておきたいと思います。現在、スコットランド議会では女性の議員が40%を占めています。

分権のあり方を論じてきた憲政会議での話し合いの中で、女性団体と労働組合(女性労働力の増加に伴い女性に対して友好的であった)は、議員の男女比を50対50にすることを法律で定めるべきだと主張していました。この提案は、多くの賛同を得ましたが、自由民主党の反対に会い、制度提案の中に入れられませんでした。我々は全員一致のルールで議論を進めていましたから。しかし、40%もの女性議員が生まれたのは、政党の努力があったからです。労働党は女性議員の増加に協力的でした。労働党は小選挙区の候補者選定において、隣り合った選挙区では男女を交互に立てるという原則を立てて実行しました。また、スコットランド国民党も女性擁立に特別な努力を払いました。

そして、そのほかに憲政会議で私たちが求めたのは、誰でもが議員になれるように、家族にやさしい議会を造ろうということでした。たとえば、スコットランド議会は普通の仕事の時間に合わせて議会を開くとか、子供の学校の休みに合わせて議会も休みにするといったことに注意を払っています。これは、仕事をしている母親、子育てをしながら議会にかかわりを持っていく議員の人たちにとっては非常にありがたい。これだったら私でも参加できるという議会をつくりだしたのです。これらは、ささいなことかもしれませんが、家族を大事にしながら政治活動ができるという議会をつくることは重要です。

地方分権の法律は、スコットランド議会の権限を規定しているわけではありません。逆に、中央のウェストミンスター議会(イギリス国会)が留保している権限について規定しています。それ以外の権限はすべてスコットランド議会に移ったということです。イギリス国会は依然として外交、防衛、マクロ経済政策に関する権限はもっています。また、税制や金融政策、さらに貿易や商業に関する権限ももっています。

スコットランド議会に権限が移ったものの中には、教育、住宅、保健、社会福祉などがあります。土地利用計画もあります。それから、スコットランドの中での経済開発、運輸、民事と刑事裁判、警察と刑務所、芸術と文化財、農業、林業、漁業、スポーツなどがスコットランド議会で話し合われる権限となりました。したがって、きわめて大きな権限がスコットランド議会に移ったわけです。

次に、財政について説明します。スコットランドの財源はどこからくるかといいますと、中央政府から一括交付金としてスコットランドへ分与されます。その金額は、人口と地域特有の条件によって規定されています。この交付金の使い道は、スコットランドで自由に決めることができるのです。そして、そのほかに、足りない部分については、スコットランド議会は、所得税について国の税率から上下3%以内の範囲で、税率を変更する権限も持っています。

分権から一年 ―――何が変わったのか

そして、議会が始まりまして1年たちました。新しいスコットランド議会の実績はどんなものでしょうか。やはりどこにでもあるように、1年たつと、スコットランドの国会議員に対しては様々な批判も出てきます。たとえば、政治家が、スコットランドの国会議員が給料を取り過ぎているのではないかというような余り芳しくないニュースも聞こえてはくる一年間でした。

しかし、わずか1年の間でも、本当の実績というものもあるのです。この中には学生の方もいらっしゃいますので、最初に学費のことからお話をいたします。そもそもイギリスでは大学の学費というのは無料でした。これに対して、ブレア首相は、学費を一律1年間千ポンドずつ取るという政策転換を発表しました。この政策は、賛否両論を呼んでおります。そして、新たに生まれたスコットランド議会はすぐにそのことに対応しました。スコットランド議会では先日、千ポンド学費を取るという中央政府の政策に反対を示しました。ですから、スコットランドでは、学生から千ポンド学費は取らないということになりました。そして、スコットランドでは、貧しい学生、大学に行きたくても行けない貧しい学生のための特別奨学金制度というのも設けました。これは、まだイングランドでは話し合いもされていないことです。

それに加えて、土地所有法の改正が実現され、産業開発政策や教育政策に関して議会の小委員会が精力的な調査を進めているところです。このように、スコットランド議会は政策形成に真剣に取り組んでいるところです。
そして、スコットランドの人たちは、自分たち自身の議会ができたことによって、政策形成の活動が迅速になったと気づき始めています。以前は政策が法律になるまでの過程で、ウェストミンスター議会において、たとえ政策形成の意志があっても、その実現には大変時間がかかりました。しかし、今ではたった1年で政策を実現することができるのです。そのことによってスコットランドの人たちは、自分たちの手で自分たちの国の法律を変えていけるのだという認識を持ってくれています。

そして、現在、私たちは、よりよい政策をつくり、市民社会の様々な分野で問題解決の知恵や経験を持った人々を集め、議会とそのような市民のコミュニティとの対話を進めるという目的のもとに、スコットランド市民フォーラムという組織をつくりました。このスコットランド市民フォーラムは、スコットランド議会から運営費を得ていますが、全くの中立の立場をとった組織です。

北海道の皆さんへのメッセージ

最後に私たち経験から学んだ最大の教訓を皆さんにお伝えしたいと思います。それは、私たちは必ず物事を変えることができるということです。変化が実際に起こり始めたとき、私たちが当初考えていたよりもずっと長い時間がかかるというのが常です。でも、思い起こして御覧なさい。例えば19世紀、長い年数をかけて奴隷制度をなくしました。そして、20世紀の初めまで女性には参政権がありませんでしたが、長年の運動の末に女性は参政権を獲得しました。20世紀の後半になって、イギリスでは長い間努力をした結果、医療の無料サービスという制度を実現しました。必ず物事は実現できるのです。物事は必ず変わるのです。いつ時期が熟すのかを予測することは決してできません。しかし、私たちが十分に準備をしていれば、時が熟したときにその機会を利用することができるのです。どうもありがとうございました。

■ 第2部 シンポジウム ■

 イゾベル・リンゼイ ● 山口二郎

山口 それでは、後半のシンポジウムを始めたいと思います。
私は、このパンフレットに書いたエッセイの中でも触れたのですが、今日リンゼイさんがなさったお話の最後の部分で語られた教訓、これが何度聞いても涙が出るぐらい感動する話です。個人的なことを申し上げますと、この5年くらい日本の政治状況はどうにもぱっとしないという愚痴みたいなものを書く機会の方が多かったわけです。しかし、去年のちょうど今ごろ、NHKのテレビ番組のために取材したとき、実際にリンゼイさんにお会いして、私自身も変わりました。私が、日本では学者もいろいろ改革について提言をするけれども、全然前へ進まない、我々は常に無力感に陥るばかりだというようなことを申し上げたときに、先ほどの変化は必ず起こるという言葉を聞きました。まさに、勇気百倍という感じで、その後日本に帰って、割と元気な文章を書くようになりました。実現してもしなくても、ちゃんと言うべきことは言おうというような感じで本を書いている昨今です。そういう意味で今日の講演も、大変元気の出るお話だったと思います。

ここで、今のお話をよりよく理解するために若干補足をしておかなければいけないことがあると思うので、それをまず申し上げておきたいと思います。

まず、今日のお話の一番重要な柱でありましたスコットランドの憲政会議という会議の存在なのですが、これと地方分権との関係がちょっとわかりにくかったかもしれないので、少しご説明しておきたいと思います。

今日のお話にもあったように、憲政会議という会議体は、リンゼイさんのような学者、市民運動家、そして教会、労働組合、いろんなタイプの団体や市民が広範に集まった議論の場でした。そこで基本的なスコットランド地方分権の制度的な枠組みを実際に作ったわけです。つまり、日本の法律の場合ですと官僚が作文をする、あるいは審議会に諮問した形で何か法案をまとめるというような手順を踏むわけなのですが、スコットランド地方分権の非常に大きな特徴は、議会制度をどうする、選挙制度をどうする、そして行政制度をどうするかといったようなことを、ほとんど憲政会議に集まった学者あるいは専門家などが自分たちでつくったということです。そこから出てきた分権の案をもとにして、97年に労働党政権が発足した直後に、分権法案が起草され、議会に提出された。もちろん若干違った部分はあるのですけれども、骨格はほとんど憲政会議のつくった分権案が具体的に法案になったということです。そういう関係があるということを理解しておいていただきたいと思います。

それから、時々自民党という名が出てきたので、皆さんちょっと驚かれたかもしれませんが、イギリスにもリベラル・デモクラティック・パーティー、そのまま訳すと自由民主党という政党があります。これは日本の同じ名前の政党とは全然違う政党でありまして、どちらかというと中道、左派とまではいきませんが、中道政党で、しかも、数は小さいのですが非常に良識的な政党です。別に日本の同じ名前の政党が良識的ではないということを私は言っているのではなくて、イギリスの自由民主党というのはインテリ好みの小さな政党だということ。その政党も地方分権には非常に熱心だったということであります。

そのように、イギリスの政治の文脈というのは日本と少し違うので、そこのところ誤解のないようにしておいていただきたいと思います。

政治へのかかわり

山口  さて、早速リンゼイさんにもうちょっと詳しいお話を伺いながら、スコットランドの地方分権が我々にとってどういう意味を持つのかということを考えていきたいと思います。

まず、リンゼイさんという方の個人的なバックグラウンドについて少し伺ってみたいと思います。お父さんが戦争直後に広島に進駐して原爆の悲惨さを知って、そこから政治に関心を持ったというお話が冒頭に出てきて、これも皆さん驚かれただろうと思います。そういった形では政治に目覚めるのは割と早かったようですけれども、特に地方分権に向けた市民運動というものに入っていったきっかけ、あるいはその動機のようなものが何だったのか、いつごろからそういう運動をしてきたのかというところを少し最初に教えていただきたいと思うのです。

 

リンゼイ  私が政治活動に携わったのは、これは先ほどもお話をいたしましたように、反核運動、平和運動が最初でした。最初に私が行動を起こしたのは、1960年にスコットランドのホーリーロッホにアメリカ軍の核兵器基地ができたときに座り込みを計画したのが最初でした。それが、最初の関心だったのですが、当時から社会問題、社会正義について一般的に関心を持っていました。60年代の後半、システムを変革するためにもっとも有効な手段はスコットランド国民党だと思えました。また、スコットランド国民党は核兵器に反対していましたので、それも動機の1つでした。私はそれに同意して、このスコットランド国民党に私は60年代の後半に入党いたしました。60年代から70年代初めにかけて、社会変革を実現することに、この党はかなり成功したと思います。

スコットランド国民党は1980年代に、スコットランドの中に、特に大胆な分権に賛成する野党や様々な市民団体の中に様々な意見があるということを理解し、それを糾合するということに失敗したと考えるようになりました。本来はそこで、他の人たちに対して壁を築くのではなくて、様々な意見の間に橋をかけるべきだったのです。しかし、政党というものは、自らの政策を追求する際に、他者との橋渡しに努力するよりも、どうしても自分たちの既得権にとらわれるものです。1989年、スコットランド国民党が憲政会議から引き上げたとき、私は離党しました。私は5年前に労働党に入っているのですけれども、この10年ほど、実際の私の活動は市民を中心としての活動になります。私は、スコットランド・ボランティア会議の副議長をしています。また、市民フォーラムの副議長をしています。

私は、ほとんどの先進社会において、たいていの場合、政党というのは政策イノベーションの連鎖の中で、最初ではなく最後に来るものだと信じています。政策を革新するためには新しいアイディアが重要です。しかし、政党の中にはアイディアを生み出す自由がありません。

 

山口 もともと最初はSNP、スコットランド国民党という政党は世の中を変えていくための一番いい道具だと思って入ったということを最初におっしゃっていました。しかし、やはり政党にいろんな限界があって、党内に既得権があったり、政党自身が政策を変えることが難しかったりというわけで、今おっしゃったように、市民の力で政策のアイディアを出していくべきだと強調されていました。

それから、政策をつくっていくことを一つの連鎖に例えた場合に、政党というのは最後の鎖の端っこにいて、最初に政策を創造するというのは市民なのだということを強調されていました。この辺は、それ自体政党論としてはおもしろいテーマですけれども、今日の本題ではないので、この点にはこれ以上深入りしないで、分権の話の本筋にもう少し踏み込んでいきたいと思います。

サッチャー時代の中央集権

山口 先ほどの歴史を振り返る部分で、1980年代にだんだん時が熟してきて憲政会議の運動が進んでいったというお話がありました。ここでまず日本の皆さんのために、サッチャー政権の時代にイギリスでどういうふうに中央集権が進んだのか、あるいはスコットランドの地方自治はサッチャー政権の時代にどうなったのかということをごく簡単に教えていただきたいと思います。

リンゼイ スコットランド議会が設立に最も貢献したのは、サッチャー首相だと皮肉をこめて言う人もいます。確かにそういう面もあります。

サッチャー政権は、保守党の中でも特に右寄りの政策を取りました。そして、この保守党の時代というのが79年から97年まで続いています。そして、スコットランドでは保守党支持者が極めて少ないため、その間にスコットランドはイギリス全体のシステムの中から疎外されてしまいました。1度の総選挙で負けることは何とか我慢できますが、2回、3回、4回と負けつづける中で、スコットランド人のいう「民主主義の欠陥」という感覚が生まれてきました。それはどういうことかと言いますと、スコットランドはある方向に投票しても、イングランドの大多数は反対の方向に投票して、スコットランド人は自分たちの考えを代表してくれる政党を持たないという結果になるということです。

その結果、97年の総選挙では、スコットランド、そしてウェールズでは保守党から1人も当選者が出なかったのです。

このように、国政の代表システムがある地域の政治文化をまったく反映させることができないという欠陥が現れることもあるのです。この点は、北海道の政治状況に似ているのかもしれませんね。

 

山口  スコットランドの政治的な文化というものが、国全体の議会における政党の勢力配置に全く反映されていないという大きなギャップがあったことが、特に地方分権を求めるスコットランドの世論の背景にあったということは確かのようです。

そういう面ではスコットランドと北海道というのは似ているのかしらという今疑問を出されたのですが、全く似ていないことはない、あるいは、なかったと言うべきでしょうか。今はだんだん日本全体の政治的カルチャーと北海道というのは差がなくなっているのかもしれませんけれども、いわゆる55年体制のもとでは北海道の政治文化はかなり特殊なものがありました。

 

リンゼイ  サッチャー政権の初期の段階において、スコットランドの製造業の生産高は40%も減少しました。鉄鋼産業はほとんど完全に閉鎖されました。スコットランドに伝統的な産業、造船業、石炭産業、それから重機械工業なども同じ運命をたどるかもしれませんでした。サッチャー政権の下では、そうした産業淘汰のスピードがどんどん速まったことは確かです。

また、サッチャー政権は民営化を強く推し進めました。しかし、スコットランドではこの路線は不人気でした。なぜならば、スコットランドでは、イギリスのほかの地域と比べて、伝統的に社会保障に対して強い支持がありました。また、公的なサービスに対して強い信頼がありました。そういう気質があったスコットランドが、次から次へと今まで無料で受けていたサービスが次々と民営化されてくる、そういう時代をサッチャー政権ではスコットランド人の人たちが味わっていたわけです。

 

山口  まさに、80年代においてスコットランドは、特にサッチャー政権の小さな政府路線、規制緩和や民営化といった政策の中で、むしろしわ寄せといいましょうか、被害を受ける側だったということも分権を求める動機の1つにあったようです。

スコットランド人はなぜあきらめなかったのか

山口  そこで、もう1つ伺いたいのは、政治の変化に対する夢という問題です。先ほどのお話にも少しあったように、保守党が4回連続で選挙に勝利し、政権を持続する。そういう中で、政治が変化する可能性というのが非常に遠く見えた時代が80年代、あるいは90年代前半であったわけです。私のように日本の政治とイギリスの政治を比較している研究者の中では、92年の総選挙で保守党が4期連続の勝利をおさめたときには、イギリスの政治は日本と同じように一党支配、あるいはイギリス労働党が日本社会党みたいになったのだという議論が非常にまじめに語られていたこともあったわけです。そういう政治のいわゆる逆風の中で、スコットランドの人たちは何で分権という夢を追い続けられたのか、その辺の気持ちというのでしょうか、動機というのでしょうか、これがどうも短気な日本人から見るとよくわからないという感じがするわけです。そこをもうちょっとお話ししてほしいなと思うのです。

 

リンゼイ  皆さん常に希望をもちつづけなければなりません。夢を持ちつづけることは愚かしく見えるかもしれませんが、社会で変革を成し遂げるというのはそういうことです。

その一例をお話しましょう。92年の総選挙で保守党が4回目の勝利を飾った次の日、私たちのグループはテレビで選挙結果に関する討論会を行っていました。私たちはみな大変落胆していました。それは6月のことでした(訳注 リンゼイ氏の記憶違いか。総選挙は4月に行われた)。そして、議論を戦わせているその中で、私の同僚が、12月にスコットランドの首都エジンバラでヨーロッパ首脳会議が行われ計画があるという情報をもたらしました。私は、エジンバラでヨーロッパ首脳会議が開かれるなんて、これほど絶好のデモンストレーションの機会はないわと友人たちに言いました。その話は友人たちの間に伝わりました。選挙でみじめに敗北したわずか2日後に、私たちは早くも12月のヨーロッパ首脳会議に向けて、大きなデモを計画したのです。そして12月には実際に、イギリスの中央政府を大いに困惑させ、そして地方分権を政策の課題に再び載せることに成功したのです。マスメディアはこのデモに大変強い印象を受け、地方分権というテーマは決して消え去ったわけではないと理解したわけです。

 

山口  今のお話で、希望を持つことがばかみたいに見えるかもしれないけれども、世の中を変えるのはやっぱり常にそういうものなのだという教訓がありました。我々はもう少しばかにならなければいけないのかと思ったわけです。

そこでもう1つ、分権のアイディアが社会にだんだん広がって発酵していくプロセスのことを伺いたいと思います。地方分権というのは、日本でもこの4月に大きな改革が実施段階に移りまして、新聞なんかにもよく出るようにはなったのですが、一般の人々にとってはまだなじみが薄い言葉ですね。地方分権によって何がどう変わるのかというと、そんなによくわからない。介護保険みたいに具体的にサービスが始まると、これは何となく見えてくるのですが、地方分権で自治体に権限を移しますという話をしてもぴんとこないというところがあります。

その点で、スコットランドで地方分権を進めていくという議論、地方分権というアイディア、概念というものがどういうふうに一般市民に普及して広がっていったのか、そして広範な世論の支持が高まっていったのか、そこのプロセスを少し教えてほしいと思います。

 分権に対する市民の支持はいかに広がったか

リンゼイ まず、スコットランド人はけっして民族意識(national identity)を失ったことはないということを指摘しておかなければなりません。スコットランドはヨーロッパでも最も古い国の1つでした。これは、1707年にはじめてスコットランドはイングランドに併合されました。征服されたのではなく、経済的理由によってイングランドに併合されたのです。スコットランド議会もイングランド議会に吸収されました。1707年に議会が併合した後も、スコットランドには様々な制度が残っています。このアイデンティティの感覚は常にスコットランド社会に存在しています。問題は、そうした人々がなぜイギリスの旧来の政治的構造の中で生きていけないと考えるようになったかという点です。私には、イギリスという国がスコットランドにとってそれほど魅力的な政治の枠組みではなくなったと思えます。大英帝国はすっかり消えてなくなりました。ヨーロッパがもっと重要な政治の枠組みになりました。そして、スコットランド人は自分たちでやったほうが、自分たちでイニシアティブを取ったほうが物事はもっとうまくいくという感覚を強く持つようになりました。そうした感覚が広まったとしても、それを表現する活動家というものが必要なのです。だからこそ、1960年代後半からの時期が重要なのです。スコットランドにようやくそうした表現やそうした議論が戦わされるフォーラムができたのです。その間、常にアイデンティティの感覚は存在しました。

 地方分権と財政的自立の意味

山口 それでは、次の問題点として、地方分権とその経済や財政の関係について少し伺ってみたいと思います。

北海道でも地方分権を議論するときに、常に、では財源をどうするかという問題にぶつかります。つまり、スコットランドも北海道も経済的にはそんなに強くない地域で、自前の財源というものではとても予算が賄えないという問題があります。そういう意味では中央に依存している。日本の場合でいえば地方交付税とか補助金、イギリスの場合でいえば、さっきお話があったように、国の一定割合をスコットランドに分与するという仕組み、こういう仕組みの中で、地方分権を唱えるときに、財源の問題をどうクリアするかという問題は大変重要です。
そこでお聞きしたいのは、要するに地方分権をしつつ、かつ財源的にはウエストミンスターからの一定割合の財源をもらうということをどうやって正当化したかという問題です。

 

リンゼイ 地域間で財源をどのようにして公平に再分配するかというのはどこの国でも非常に論争的な問題です。1つの問題は、そうした再分配を考える際に、すべての要素が必ずしもきちんと考慮に入れられていないという点にあります。

1つ例をあげましょう。政治的なセンターをどこに置くかということが国の中における富の生産を大きく左右するのではないでしょうか。例えば東京にはたくさん企業もあるし、いろんな団体もあってたくさん富をつくっているけれども、それは東京が首都だから、政府にアクセスをするためにいろんなものが集まって、それで東京が経済的に裕福になっているという面があるのです。首都を北海道に移せば、どういうことになるでしょうか。ロンドンでも同じです。地域間の財源移転というのは、決して単純な話ではありません。ある地域で上がった税金を別の地域に移すということがけしからんという話にはすぐならないのです。富を生み出す地域的な偏りというのはかなり政治的な要素、つまり首都をどこに置くかということによって左右されているのです。その点を考慮に入れなければなりません。

スコットランドの地方分権が実現してたった1年の間でも、エジンバラでは随分経済的に活性化して、オフィス需要が増えて家賃が上がったり、失業が減ったり、建物がどんどん建ったりといった変化が起こりました。それは、やはりエジンバラがスコットランドという地域の政治的中心だから、それに対するアクセスを求めて、企業などいろんなものが集まってくるという経済的な効果があったということができます。

実際には裕福な地域に対して流れていく、隠れた補助金、公式の経済、財政統計に載らない補助金というものがあるのです。やはり富の格差、経済力の格差というものは常に存在のですが、そうした格差によって政治的分権の議論がゆがめられてはなりません。例えばヨーロッパ連合なんかを見ても、ドイツのように、ほかの国のために貢献する方が多くて受け取るものが大変少ない国もあるし、アイルランドのように貢献はしないで受け取るところもある。そういう力の差というものがあるけれども、1つの国、あるいは1つの共同体というものを構成することで合意しているならば、その地域全体あるいは、その国全体の経済的な水準をよりよくしていくことがみんなの利益にもかなうのだということです。

 

山口  それで、もう1つ質問したいことがあります。例えば地方分権の議論を進めようとするときに、今のままでいいという議論、つまり今のまま中央政府から補助、援助してもらう方が有利だという反対論はなかったのでしょうか。あるいは、そういった反対論があったとすれば、それをどう乗り越えていったのかということをお伺いしたいのです。

 

リンゼイ  分権について推進しようというときに、反対論が大きく言って2つありました。1つは、さっき私が言ったみたいに、国から財政援助をもらっている方が楽でいいというタイプのものですね。下手に分権などと言うと国からもらう金が減るのではないかというリスクがあるから反対しますという議論がありました。もう1つは、地方分権をして、ちょっと左寄りの地方政府ができてしまうと企業がどんどん逃げ出すと。だから分権しない方がいいのだという経済界からの反対論がありました。

そういう議論、反対論というのはしつこく地方分権の運動に向けられてきたのですが、だんだん人々はそういう反対論を信じなくなってきた。企業が出ていくといっても、そこで現に商売をしてもうかっているのだったら、出ていくはずがないではないかということです。実際に、金融ではスコットランドにとどまって事業を拡張している企業があります。

スコットランドには、他の地域にはない経済的な優位があります。というのは、我々には北海油田があり、そのほとんどはスコットランドの水域に入っています。したがって、私たちは交渉の際の大変強い取引材料を持っているのです。スコットランドには油田収入は今のところまったく落ちていません。しかし、イギリス政府は、スコットランドを財政的にあまり圧迫すると、スコットランドが油田や独立というカードを使って反撃するかもしれないという脅威を感じています。外の人間から見て、日本における北海道の位置とか強みというのも同じようなものではないでしょうか。日本というのは資源がないところだけれども、北海道にはたくさん資源がありそうだし、何かほかの部分の日本に対して北海道が強みとして言えるものがたくさんありそうに思えるですが。

 

山口  中央依存の方が楽でいいというタイプの議論をどうやって乗り越えたのかでしょうか。

 

リンゼイ 目下のところ政権を担えるのは労働党しかないということで、スコットランドは大変助かっています。今の労働党政権の中にはスコットランド選出の非常に偉い政治家がたくさんいます。大蔵大臣、社会保障大臣、国防大臣、ついこの間までは外務大臣も、さらに多くの副大臣たち、そういった政権の中枢部をスコットランド出身者が占めている以上、彼らとて選挙で当選しなければ大臣の地位を失うわけですから、中央とスコットランドの間の財政関係をゆがめるというか、いじるというようなことはわざわざしないという事情があります。もっと大きな理由は、スコットランド人が大変自分たちの地域に対して自信を持っているということです。サッチャー時代の大変つらい時期でさえ、私たちは愚痴を言うのをやめて、何が起こっても自分たちの地域はいいところだ、私たちはこれをもっとよくできるのだというような自信を持っていました。

 

山口  北海道の持つ優位性は何かという問題は、かなり難しい問いですね。確かに、かつては石炭とか森林とかいろんな素材、資源供給型産業というのがありましたが、今そういったものが衰退しているわけで、なかなか北海油田のような打ち出の小槌はありません。ほかの意味で北海道が日本に対して誇れるもの、あるいは使えるカード、強みみたいなものが何なのかということは、地方分権を考えていく上で非常に大事なポイントになってくるのだろうなというふうに思いました。

 

リンゼイ  それに加えて21世紀にむけて環境問題がきわめて重要なテーマになってきます。自然と一緒に暮らしていく、これが21世紀の私たちに与えられた課題だと思います。北海道には、そのために必要なスペース、きれいな海や川、農業、漁業、それからこれからの化石燃料に頼らないエネルギーとしての風力発電、ソーラーエネルギーがあると思います。北海道もスコットランドも、他の裕福な地域よりもはるかに21世紀にふさわしい地域ではないかという印象を持ちました。

 

山口  北海道とスコットランドは21世紀に適している、向いているというお話で、大変元気づけられるところです。要するに経済的に豊かなところが21世紀に本当に生き残れるかということ、これは大変大きな問題だと思います。

スコットランド省と地方分権の関係

山口 もう1つ、今日は北海道のいろんなお役所の方々、公務員の方々がたくさんおいでなので、その人たちが特に関心を持っている質問を一つします。スコットランドには今までスコットランド省という、ちょうど北海道開発庁に似た国のお役所がありました。このスコットランド省というのは今回の地方分権に対してどういう対応をとったのでしょうかという質問です。

 

リンゼイ スコットランド省には2つのタイプの職員がいて、1つは一般の公務員、日本と同じような公務員、それからもう一つはロンドンの政府によって任命された政治的リーダーたち。一般の公務員たちは、実質的には分権を支持しました。むしろ分権によって得をするというか、有利になるというふうに思っていたからです。というのは、大半のスコットランド省の職員はスコットランドで仕事をしているわけで、スコットランド議会ができた場合、その職員たちというのはもっと大きな力を振るうことができるようになる。だから、その職員の人たちというのは、陰に隠れていたけれども、ひそかに分権を支援していたのだと。政治的に任用されたトップの人たちは、分権してしまうといなくなってしまうのだけれども、そういう意味でスコットランド省も分権に賛成してくれたというお話でした。

 

山口  こういうからくりは北海道ではどうやってつくれるかといったら、なかなか頭の痛い問題ではありますが、避けて通れない問題なので、この点も少し考えていく必要があると思います。

残された改革課題

 

山口 さて、大分時間がたちまして、いろいろと伺いたいことは山ほどあるのですけれども、そろそろ結びの問題にしなければいけなくなりました。

最後に、実際にスコットランドの新しい議会ができて1年たつわけですが、これからさらにどういう改革をしていきたいというふうに思っていらっしゃるのか、そのことについて少しお話をしていただきたいと思います。

リンゼイ 議会が発足いたしまして、これからさらにどのような改革をという質問に対してなのですが、ここ数年は議会を軌道に乗せること、これがまず最大の目的ではないかと思いま2す。私たちも、政策のアイディアを提供することによって、議会が軌道に乗ることを手助けしなければなりません。そして、議会が成功するためには、常に市民に開かれたものであるように気をつけていかなければなりません。

その次には、スコットランド議会の力をさらに拡大していくべきかどうか、考える必要が出てくるでしょう。そうした議論の中でいろいろと対立も起こるでしょう。数年のうちには、スコットランド議会に財政に関するより大きな裁量を与えるために、新たな財政の枠組みも必要となると思います。

また、スコットランド議会はヨーロッパにおいて代表を持つべきだと思います。既にヨーロッパ議会の中には、ある程度の発言力を持ち、ブリュッセルにスコットランドオフィスを設けています。しかし、近いうちにスコットランドは、ヨーロッパの文脈の中でスコットランドの利益を擁護するために、より大きな発言力を持ちたいと思うようになるでしょう。ですから、変革の要求はこれからも続くでしょう。しかし、私は漸進的な変化を積み上げることが改革を実現するために有益だと思います。

さて、私にはスコットランドが完全独立を選ぶのか、そうはしないのか、どちらに進むのか分かりません。私はイギリスという国が連邦制を採るのであれば、スコットランドは満足するだろうと思います。そして、イギリスの中にとどまるでしょう。もしイギリスが連邦制にならなければ、現在のようなウエストミンスター議会(国会)とスコットランド議会との間のテンションが非常に大きくなるでしょう。

 

山口  イギリスが連邦制になるかどうかという議論をイングランドの方でも最近始めているところでして、そういう意味で、分権国家になっていけばスコットランドというのはイギリスの一部としてうまくおさまるということでしたけれども、それは今後どうなるか。ただ、地方分権というのはヨーロッパでも大きな流れになっているということは確かだろうと思います。

大変残念なのですが、時間の関係もありますので、リンゼイさんのお話はこのくらいにして、あと我々が今日いろいろ伺ったことを日本での分権改革にどうやって生かすかということをしっかりとこれから議論をして、憲政会議のようものが北海道でもできていけばいいなと思っているところです。皆さんもいろんな場で分権の将来について考えていただければ、今日の集まりを開いた意味があるだろうと思います。

どうも大変長い時間お話をいただいてありがとうございました。

 

 

報告

5月11日、高等法制教育研究センターの開設を記念し、北海道対外文化協会との共催により、スコットランド地方分権に関するシンポジウムを開催した。講師のイゾベル・リンゼイさんはストラスクライド大学で政治学を教える研究者であると同時に、長年地方分権運動の中心として活躍し、現在も様々な市民運動のリーダー役を務めている。

前半の講演の中で、彼女は分権を求める市民運動(スコットランド憲政会議)を振り返り、1980年代の保守党全盛期に実現の可能性が見えなくても、変化の可能性を信じて粘り強く運動を続けることの重要性を指摘した。また、同時にいつ変化の機会が訪れてもそれを生かすことができるように、実現可能な案をつねに練り上げ、手元で温めておくことが必要だとも力説した。97年の労働党政権発足後における分権の急展開の背後には、長年の憲政会議における討論と準備の積み重ねがあったという指摘は説得的だった。

実際に新しいスコットランド議会が発足してちょうど1年経過した時点での評価について、リンゼイさんはおおむね肯定的であった。政党の内紛や議事堂建設の不手際など混乱もあるが、大学の学費徴収問題について中央政府の有料化方針に対してスコットランドでは無料を維持するという明確な差異化が実現されている。また、教育や産業開発についてもスコットランド議会の委員会で独自の政策に向けた調査活動が精力的に行われている。これらの点から、分権は地域における自主的な政策決定をもたらしているというのがリンゼイさんの評価である。後半のシンポジウムでは、私とリンゼイさんが対談を行った。その中で最も印象的だったのは、分権と経済、財政的自立の関係という論点をめぐる彼女の見解であった。地域間の財源の再分配はどの国でも難しい問題である。しかし、富の偏在は政治的な中心をどこに置くかということによって引き起こされた面もある。だから政策的自己決定を高める意味での分権、自立と、財政的平準化により支援を受けることとは矛盾しないと彼女は力説した。また分権を実際に進めることによって、スコットランドの経済はさらに活性化しているとのことであった。スコットランドと北海道はいくつもの前提条件の違いがあり、単純な模倣はもちろん不可能である。しかし、北海道における分権の実現に向けていろいろな意味で勇気づけられる話だったと思う。

山口二郎 記

 

感想

公開講座でこのように一般市民も聴講できる事は素晴らしいと思う。今回与えていただいたチャンスに御礼申し上げます。(北区)

リンゼーさんの「必ず歴史は変わる」という、一年間のスコットランド議会の活動を通じての教訓に示唆を受けた。分権と地域自立戦略についてのシンポジウムも興味深い。(上川郡鷹栖町)

良かった。もう少し、北海道の地域自立戦略についての討論があればBestだった。(東京練馬区)

意義深い内容の濃いシンポジウムでした。もっと自分自身が勉強しなければと思いました。(中央区)

本年4月から法律化された地方分権法も実際は業務量だけが地方におりてきて、権限、財政、何一つ変わっていない。真の地方分権は何か?スコットランドの例を参考に、多くの人と議論したい。(豊平区)

リンゼイさんの力強く明快なお話に強い感銘を受けました。是非連続講座の形で続けて下さい。例えば年6回(多すぎれば3回でも)、そのための年会費(例えば5,000円)喜んで払いたいと思います。(北区)

素晴らしい講演会であり感動しました。又、非常に勉強になりました。個々の実践内容で意を強くしました。個々の人々には違いがあると思いますが、全体的に現在の社会性はオンブにダッコ、責任転嫁の無責任な状況化にあって、ここからの脱却。特に北海道は強いだけに・・研究センターが中心になり、市民、行政、政治へと変革の道筋をつけて下さい。今日はありがとうございました。(東区)

自治労の新しい綱領づくりをやっており、グローバリズムへの対応も課題でしたが、スコットランドの憲制会議の活動は大きな示唆を与えてくれます。ありがとうございました。(小樽市)

全くの一般人の私にも非常に分かり易く興味深く聴けました。スコットランド(もしくはウェールズなり北アイルランドなり)の方々は非常に強い土着の精神といいますか、“我々はスコットランド人なんだ!イングランドと一緒にするな”というものを持っており、そのパワーが地方分権へと発展していったのに比べ、私らには“我々は北海道人だ!”というパワーがない。(当たり前といえば当たり前でしょうが)(滝川市)

元々、ブレアー政権に興味・関心があり、今は理解し支持している、その中でスコットランドの地方分権の歩みを聞かせていただきました。(河西郡芽室町)

これからの分権時代にむけて、大変参考になりました。又、北海道の自立に向けてこのことを受けとめて、これからおおいに希望と夢を持って進んでいきたい。(富良野市)

現在のスコットランドにおける市町村レベルの分権と市民参加はどうなっているのか、興味のあるところです。(北広島市)

タイムリーで興味深い内容でよかったです。スコットランドの現在を感じるという意味で、直接話を聞けて非常によかったと思います。(北区)

仕事があって全部聞けなくて残念。講演、シンポジウムの記録をインターネットで公開して欲しい。(北広島市)

「変化は必ずおきる」長い時間の準備をする事が大切である。これからの北海道及び地方自治体にも、その姿勢が必要である事を痛感しました。まさに地方分権元年の本年からが、大事な時代であると思う。大切な話を聞き自分なりにも時間をかけて準備、学習をしていきたい。(河西郡芽室町)

期待通りのお話でした。リンゼーさんの、しとやかだが力強いパワーを感じることができました。(西区)

夢を語るのが政治家の仕事なのだということを実感しました。(北区)

北海道モデルとなる一国多制度の地方分権を紹介していただいた。政治の女性参加の拡大が社会を変えていく大きな力となっている事が理解できた。(北区)

実践的な話が聞けてよかった。今後の取り組みに期待します。(豊平区)
地域づくりの在り方や方法論に興味を持っています。地域の人々の意思が地域づくりに的確に反映されるのは住民投票などの代議制でない方法も必要かなと思いました。スコットランドの地方分権の背景がよく分かりました。(北区)
イギリスの政治風土と日本の政治風土が違うことを実感した。(清田区)

さすがに、長年運動にかかわってきただけに、イゾベル・リンゼーさんのお話は迫力がありました。女性が政治を変える時代・世紀であることを再認識し勇気がわいてきました。(中央区)

以前より分権について、私なりに考えておりました。今日は素晴らしいお話を伺いまして、より良いこれからの北海道をつくっていきたいと思います。(小樽市)

日本で地方分権が叫ばれて久しいが、本日の講演を聞いて、スコットランドと日本人の意識の違いはやはり大きいのかと感じさせられた。今の日本をひとことで言うなら“無責任”である。分権を勝ち取るということは当然責任も課せられるものであり、無責任体質が骨の髄までしみこんだ我々にそこまでの覚悟が本当にあるのか疑問である。また現状では、市民の力が分断されているような気がする。これをどう大きな力にしていくか、真剣に考えていかなければならないと思う。(中央区)

リンゼー女史の勇気ある行動、たゆまぬ努力、崩れぬ信念に満ちた話がとてもよかった。スコットランド分権へのプロセスや背景となった力が何であったのかがよく分かりました。山口先生ご苦労さま。そして、ありがとうございました。(小樽市)

地方自治体の議員としても参考になりました。(河東郡上士幌町)

とても良いシンポでした。市民はすごい。私は議員として市民の力となりたい。(石狩郡当別町)

イゾベル・リンゼーさんのお話に勇気づけられました。地方議会に身をおくものとして、議会改革、行政改革への道のりは遠く感じられますが、粘り強く分権を求め続けた運動を糧に明るく頑張ろうとあらためて思いました。それにしても日本の総選挙が全く盛り上がらない状況をなんとかしなくては!(豊平区)

大変刺激的で興味深かったですが、内容的にもう少し掘り下げて突っ込んだものを期待していました。(西区)

夢をあきらめないということ。とっても強く心に残った。(東区)

実務的な話もしていただき有意義でした。(中央区)

山口先生がここ数年話されていた「北海道が分権の先駆地になれる」という意味が良く分かった。1707年のイングランドとの合併以後、スコットランド人が分権という願いを持ち続けたという、少々北海道とは違う歴史的・民族的な要素があるようだが、リンゼーさんの言っていたように北海道が21世紀に使えるカードにより分権を勝ち取りたい。政党と市民との関係をもっと聞きたかった。(樺戸郡月形町)

「変化は必ず起きる。長い時間がかかるかもしれないが時は必ず熟す。」という言葉を聞けただけでも大きな収穫だった。あきらめてはいけないのだ。(豊平区)

大胆な改革を実行するには大きな困難を伴います。リンゼー氏がスコットランド分権改革を進めた時に、従来の既得権、価値にこだわる多くの人々・勢力との間で、どのような議論を行い、説得し、合意を形成しようとしたのでしょうか。(釧路市)

具体的な経験に裏打ちされたリンゼイさんのお話は、感動的で学ぶ点が多くあるように思いました。特に自分達の地域の特性を見出し、それを発信していくことが重要という内容が興味深かったです。

「夢は捨てない。夢は持ち続けること。」というリンゼーさんの言葉が、とても感動的でした。夢を実現するまでの苦労や大変な準備など、その過程を詳しく聞けたことがとてもよかったです。私は北大法学部の学生ですが、これから「夢」を持ちながら勉強していきたいと思います。(学生)

今の政治に国民は疲れている。夢もなしロマンもなしでは。北海道独立の為、政策決定を身近なものと話し合いを始めたいものである。(南区)