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附属高等法政教育研究センター

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 刊行物・活動報告詳細

J-mail No.15 2004 Spring

CONTENTS・・・・・・・・・・・・Spring,2004
●J-Review:樋口陽一
●From Center:長谷川晃
●Research Update:松浦正孝/吉田広志
●Juris Report
●Art&Culture
●Information

 

J-Review

いまを、斬る●
国家の私化?

TEXT:樋口 陽一●早稲田大学法学部教授
     YOUICHI HIGUCHI

1

 旧知の研究仲間から電話での依頼を受けてこの欄への執筆を簡単におひきうけしたが、電話機を置いてからいったん後悔した。かねて、最近の大学が宣伝広報の類に力を入れるから継続雑誌を打ち切ったりしていることに対する公憤を語っていたのに、友人の誘いという私(?)情を優先させたことに気づいたからである。しかし、やがて前号が見本として届いて安心した。上質紙にカラー写真満載の類でなく、質素そのもののいでたちだったから。
 さて、郵便局や道路という、人びとの生活に密着した部門と比べるのは無理だとしても、それにしても、それらについてほどの国民的議論もないままに、国立大学がその歴史を閉じた。国家のすべき仕事は何なのか、遅ればせながら、議論がつづけられるべきではないか。
 「民間で出来ることは民間で」、というのが、今のところ国策とされているらしい。それなら、「戦闘行為」が行われていないはずの外国で「人道復興支援」を担うのは、何より民間でなくてはならなかったはずだろう。実際、世界じゅうの奥地まで、貧困や環境破壊に苦しみ内戦から逃れて来た現地の人々のために働いている数多くの日本人たち――若者もいればそうでない男女も――がいる。そんななかで、最近の出来事をきっかけとして「出国禁止法」なるものまでが声高に主張されるのはなぜか。政府の対外政策を邪魔されたことへの怒り、「戦闘行為」が行われている場所ですら民間の方が身軽に動いている事実の前の狼狽、といったことがあるのだろう。それにしても、これでは、林子平を禁書にし、出国を強行しようとした吉田松陰に死罪を科した鎖国政府とどう違うのか。これでは、「民間」主導が泣くではないか。いや、そうではないかもしれない。国禁を犯して外の世界に出た者については外交的保護という国家の仕事を適用すべきでないし、国費を支出すべきでもない、というのだとしたら、実は、近代国家の持つ公共性を放棄するということを意味するからだ。自分と主張を同じくする仲間しか国家は面倒見ない、ということならば、それは、「民間」による国家のハイジャック、国家の究極的な私化というべきだろう。それなら、「民間」至上主義は首尾一貫していることになる。

 

From Center

高等法政教育研究センターの新たな船出にあたって

長谷川晃●センター長

2

 高等法政教育研究センターは2000年4月に発足してから4年を経過した。この初発の4年間の活動を多側面にわたって盛り上げて来た山口二郎前センター長の努力には一方ならぬものがあり、そのおかげでセンターの活動は広く社会的に認知されるようになった。まずは改めてその労をねぎらいたいと思う。
 そのうえで、現在、センターの置かれた状況は以前よりもいささか複雑になって来ていると言わなければならない。当初法学研究科との関係で目指された先端的研究の展開・実務との交流・新たな教育技法の開拓といった大きな柱のうち、後二者の多くの部分は、この4月からスタートした法科大学院、そして来年4月にスタート予定となった公共政策大学院によって担われることになって来た。そして、これら専門職大学院の設置によって法学研究科そのものの編成や存在意義も大きく変化し始めようとしている。今や北大も例外ではなくなった日本社会第三の大学変動期にあって、高等法政教育研究センターの方向は、先端的研究の多角的な展開とそれに則した教育技法の開発へと重心移動してゆくことになるように思われる。
 ただし、このことはセンターの役割が縮小してゆくことを意味するものではないだろう。むしろ、その逆である。実務との交流やそれに資する教育の開拓はもちろん重要であるが、大学の大学たる所以は何と言っても研究の蓄積と発展、そしてその成果の社会的還元(それは言うまでもなく学生の教育をも含むが)にある。高等法政教育研究センターは法学研究科における研究を助け促しつつ、その実を知的意欲に溢れる人々に広く公開するフォーラムとして機能してゆかなければならない。
 これまでのセンターの活動は多くの方々の関心と協力の賜物であった。今後ともセンターの活動を暖かく見守り、サポートしていただければ幸いである。

 

Research Update

1930・40年代日本の「汎アジア主義」

松浦正孝●日本政治史 教授

3

 北朝鮮による拉致問題やイラク人質問題を契機に、国家の枠組みを再評価する動きが強まっているように思われる。教育現場でも国旗・国歌の強制が進み、国家の線引きである国境問題も熱いナショナリズムの波を起こしているようだ。グローバリゼーションが進む中、NGOや資本など国家を越えた主体や地域共同体の動きに焦点が当てられ、国家が相対化されるかのように考えられた時期もあった。しかし現実は違う。

 1930年代にも、グローバリゼーションと、地域共同体形成の動き、近代国家を枠組みとしたナショナリズムの昂揚が並行し、NGOの活動や大資本の国際移動もあった。近代国家としての主権を確立した上で、世界大恐慌も乗り切り満州国を建設して超帝国としての自信を深めた日本は、「汎アジア主義」という新国際秩序を模索した。西洋近代国家の代表である大英帝国と西洋近代とは異なる国家形態の中華帝国という二つのモデルに対抗したこの「汎アジア主義」は、日本を南進させ「大東亜戦争」へと向かわせた。アジア経済再編、華僑や印僑らの離散民、植民地、NGOや宗教ネットワーク等の観点から、「汎アジア主義」の形成と構造を探ることが私の現在の研究課題である。

 

「ゼミの」運営がこれほど難しいとは!

吉田広志●知的財産法 助教授

4

 私が助教授に就任したのは昨年の7月です。つまり、新年度を迎えるのは今回が初めてということになります。今年度から学部のゼミを受け持つことになり、昨年度中の募集の時点から、ゼミの運営がうまくいくかどうか、日夜不安でなりませんでした。学生たちにソッポを向かれたらどうしようか、と・・・理系出身の私にとって法学部に卒業論文がないというのは大きな衝撃でした。卒論がない以上、学生たちに、「大学時代ではコレをやった。」という達成感を与える場として、ゼミの比重はとても大きなものになります。ゼミの運営にあたって、難しい議論をすること、あるいはたくさんの課題を与えることは、むしろ簡単なことといえるでしょう。集中力が途切れがちな学部生たちに対していかに興味を喚起し、難しいことをいかにわかりやすく教えるか、ということが、これほど難しいとはついぞ思い至りませんでした。しかし未熟な私としては、学部生たちに噛み砕いて説明していく過程で、新しい発見をなすことも稀なことではありません。教育に携わって1年にも満たない者が言うのも出過ぎておりますが、教えるということは、あるいは教えられることかもしれない、という先人のエラソーな物言いを、実感する今日この頃であります。

 

Juris Report

公開シンポジウム
「21世紀はグローバル化の世紀かⅡ  ー帝国、グローバル化時代のデモクラシー」

2004年2月7日 札幌コンベンションセンター 特別会議場

パネリスト: ロナルド・ドーア●ロンドン大学名誉教授
   田中秀征●元経済企画庁長官・福山大学教授
   ゲーリー・ガーストル●米国メリーランド大学教授
   中村 研一●北海道大学教授
コーディネーター:遠藤 乾●北海道大学大学院法学研究科助教授

 シンポジウムでは、司会の遠藤乾(北海道大学助教授)により、趣旨説明として以下の点が議論の素材的論点として提示された。①現代の国際政治においてアメリカの<帝国>的性格すなわち軍事的政治的経済的な優位性②そのアメリカさえもがグローバル化により移民・テロ・伝染病・コンピューターウィルスなど越境的なグローバル化問題にさらされている③これらの越境的な問題に対して有効な枠組(越境的政治決定)が議論されていないこと④デモクラシーの問題としてはさしあたり国民主権的なモデルしか想定されておらず、越境的問題の解決にデモクラシーがいかなる点でアプローチできるのか(国民的な代議制民主主義の限界)、また市民社会や民衆とグローバル化する問題との接点をデモクラシーという視点からどのようにアプローチするのか、今後検討が必要であること、などである。
 以上の趣旨説明を受けて、ロナルド・ドーア氏(ロンドン大学名誉教授)からは、グローバル化についても現象面、越境関係、歴史的段階の三つの層におけるグルーバル化の定義化を試みており、以上の定義をふまえて、現代のグローバル化に伴う課題を「民主主義への脅威」として四点から整理した。
 また田中秀征氏(福山大学教授)により、最近のイラク派兵の問題を中心とした、日本の安全保障政策を基にした民主主義の課題が報告された。その際、米国一極支配の中で国家間民主主義の要素、また集団的防衛と集団的安全保障との間の差異が強調された。
 ゲーリー・ガーストル氏(メリーランド大学教授)からは、現代のグローバル化やアメリカ中心のヘゲモニーの形成がどのような歴史の過程をたどったのかという点について、四つの段階に区分してマクロ歴史的考察がなされた。同氏の報告では、アメリカ中心の「グローバル権力」を押さえ込む可能性として、「イスラム急進派」「対抗的国家・ブロック群」「国際的な社会運動と統治機構」がとりあげられた。
 中村研一氏(北海道大学副学長)は、旧来植民地主義的な帝国として理解されなかったアメリカが<帝国>として批判されてきている点を指摘した。また氏は、アメリカが<帝国>化する一方で、グローバルな問題(核による人類の共滅、環境問題、難民の問題など)に意図的に対応しない、うまく対応できない領域が発生している点を指摘した。このような状況をふまえ、権力の譲歩、政治社会の活性化、地球市民という三点を今後の問題解決の糸口として指摘した。
 以上の報告をもとに、ディスカッサントである川崎修氏(立教大学教授)、遠藤誠治氏(成蹊大学教授)、山崎望氏(日本学術振興会研究員)の三氏と会場からの質疑を交え、円卓討論が行われた。なかでも、グローバル化とともに、デモクラシーの近年の言説が実質的というより形式的な平等に力点を置いてきたという問題が顕在化してきた点、デモクラシーの成立基盤としての国民共同体が前提とされているといった問題が議論された。

5

 

Art&Culture

「ケルン・コンサート」
キース・ジャレット

 説明不要な方も多いと思いますが、ピアノ・ソロの即興演奏です。キース・ジャレットはこのような形式のライブを何度もやってますが、その中で最もポピュラーなものかもしれません。最初に聴いたのは大学生のとき。ジャズの好きな友人が布教活動の一環として、お勧めのCDのいくつかをテープに録ってくれたものの中にあった。その頃は、ジャズについては、初めて聴いただけで気に入るというのはあまりなくて、何回か聴いているうちにはまるということが多かったが、これは最初に聴いたときから好きだったように思う。それぐらい分かりやすいものなので、ジャズは聴いたことがないという方にもお勧めです(甘ったるすぎるという話もありますが)。
 ということで、当時、非常に好きな1枚で、テープをもっていたのに、勢いあまってCDも買ってしまった(キース・ジャレットは今も好きです)。しかし、最近はこのときのようにすごくはまるということがあまりないような気がする・・・・。

北大法学研究科助教授 山本 哲生

 

「NEW YEAR’S CONCERT 2002」

Seiji Ozawa
Wiener Philharmoniker
PHILIPS

 重厚でニューイヤーらしくない。否、気合いが入っていて聴き応えがある。否、むしろ乗りがよすぎてニューイヤーに相応しくない。否、相変わらず軽快なパフォーマンスが素晴らしい……。一見相反する様々な評価が与えられている話題の演奏である。しかし現地楽友協会ホールの盛り上がりには稀に見るものがあり、少なくとも期待する者には期待以上のものであると思わせる小澤征爾の魔力が遺憾なく発揮されていることは、間違いない。とりわけ「『こうもり』序曲」「悪魔の踊り」「チク・タク・ポルカ」では、贈られる拍手にまで切れ味のよさが伝染している。アンコール3曲は参加希望者に開かれた熱狂的共演である。醒めた聴衆をも唸らせる自然な演奏と、熱く期待する者を益々興奮させる演出された演奏と、いずれがより高い評価に値するかは難しい問題であるが、聴衆としては、ミーハーな期待派の暮らしの方が、恐らく楽しい。今度は、同時多発テロ、ユーロ導入など喧騒のない穏やかな元旦のマエストロ・オザワ再登場を期待したい。

北大法学研究科助教授 和田 俊憲

 

From Abroad

「 日本と台湾の子供の戸外遊び環境 」

曾碩文●北海道大学法学研究科助手

 日本に来て、そろそろ7年間になる私は、修士から今まで、「子供の戸外遊び環境」について研究してきました。その中で、台湾出身の私にとっては、やはり日本と台湾の子供の遊び環境の違いについて、興味を持っています。子供の成長や発達にとって、戸外遊びや遊び空間の中で得られる体験は重要な意味を持っていることが従来の研究からいろいろと指摘されています。しかし、都市化の進展や社会環境の変化の中で、子供の戸外遊び環境が悪化しつつあることが、今現在の子供の遊び環境に直面した大きな問題と考えられます。地理的に日本と近い台湾も、1970年代に入って日本と類似した環境問題に直面しましたが、日本に比べても、子供の遊び環境に対する関心はより低く見えます。

 私は今までしてきた日本と台湾との比較研究から、様々な面白い結果がみられました。日本と台湾の子どもともに、写真みたいな大型木製遊具のある場所について、高い評価を持っていました。逆に、我々は一般的によくみられるブランコ、滑り台や砂場などのある場所について、低い評価を持っていました。ただし、遊び場についての評価は、日本と台湾の子どもの傾向が類似しているといっても、そこでの遊び方の違いが見えました。日本の子どもはその場にある遊具を使って、「遊具遊び」をする人が多くみられ、また、「ボール遊び」もよくみられました。一方、台湾の子どもは、「ボール遊び」をする人が少なく、「鬼ごっこなど」の遊びが多くみられました。また、日本と台湾の大学生についての調査からは、両者の差がみえず、日本と台湾の大学生ともに、樹木や河川のある場所について、高い評価を持っています。そこでの遊び方は「水遊び」や「動物・植物遊び」が多くみられました。以上のことから、子どもにとっては、遊具の楽しさや面白さが遊び場を選択する一つの重要な基準になるといえるかもしれません。そして、日本と台湾の遊び方の違いについては、日本と台湾の国民性の違いによる差や、日本の場合は少子化の中で一緒に遊べる友達が減少し、集団遊びが少なくなっていることにより、「鬼ごっこなど」の遊びが減少してきていると推察されます。また、大学生において、日本と台湾とも自然のある場所についての評価が高いことから、子どもの頃に自然環境で体験した遊びは、他の遊び場より強く心の中に残されているといえます。こうした中で、都市における自然環境が減少している現在では、残り少ない自然場所を保存・確保し、子どもを遊ばせる、興味を持たせることが、これからの戸外遊び環境計画の中で重要な課題になると思います。

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Information

  • 「ACADEMIA JURIS BOOKLET」シリーズの続刊が発行されました。No.9(「環境と市民ガバナンス)」,10(「最近の中国情勢と日中関係」),11(「先住民族のガバナンス)」),12「(地方から日本を変える)」。希望者には高等研センターで配布しています(非売品)。

 

Staff Room●Cafe Politique

M a s t e r● 4月中は引き継ぎに大わらわ。このj-mail編集の頃になってそろそろ仕事のペースもできてきたようだ。当初は心配もあったが、皆さんの協力のおかげでセンターの新たなスケジュールが確実に固まってゆくのが何よりもありがたい。

G a r s o n● センター長の交代に伴い、このセンター長室に新しく迎え入れられたわけですが、あっという間にもう6月・・・時間が早く過ぎると感じることは、精一杯やってる証拠!と言い聞かせ、ますます張り切ってやっていきます(^_^)v

 

Hokkaido University ●The Advanced Institute for Law and Politics

J-mail●第15号
発行日●2004年6月15日
発行●法学研究科附属高等法政教育研究センター[略称:高等研]

〒060・0809 ●北海道札幌市北区北9条西7丁目
Phone/Fax●011・706・4005
E-mail●jcenter@juris.hokudai.ac.jp
HP●https://www.juris.hokudai.ac.jp/~academia/

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【J-Center】