公開シンポジウム「近現代日本の再構成―アメリカの日本研究からの問い―」

「近現代日本の再構成」
―アメリカの日本研究からの問い―

酒井、ド・バリー両コーネル大教授は、既成の認識構造を脱構築し、新たな《近代像》を模索することで、アメリカにおける日本研究をリードする存在として知られる。
日本の帝国主義を見直すことが、なぜ現在の米国でなされなければならないのか。アメリカ文学の文脈の中で、オリエンタリズムはどう変化してきているのか。
両氏の提言に、日本の若手歴史家・政治研究者のコメントを交え、グローバリゼーションの下にある日本の将来像、現代性のあり方について、多面的な議論を繰り広げる。

参加希望の方は、本シンポジウムに関連する、酒井直樹、駒込武、ド・バリー三氏の論考を掲載しますので、事前に目を通しておかれることをおすすめします。
なお、酒井・駒込氏の論文は『岩波講座:近代日本の文化史』第7巻『総力戦下の知と制度』(小森陽一ほか編、2002年)に所収されているものです。

酒井直樹論考(WordFile)   ド・バリー論考(WordFile)   駒込武論考(WordFile

【第1部】基調講演 13:00~14:45

  酒井 直樹●米国コーネル大学アジア研究科教授
    タイトル「多民族国家における国民主体のポエシス」

  ブレット ド・バリー●米国コーネル大学アジア研究科教授
    タイトル「テクノ・オリエンタリズム:W.ギブスン&D.クローネンバーグの文学」

【第2部】コメント 15:00~16:00

【第3部】質疑応答 16:15~18:00

コメンテーター
 駒込 武 ●京都大学大学院教育学研究科助教授
 佐藤卓己●国際日本文化研究センター助教授
 尾崎一郎●北海道大学大学院法学研究科助教授

総合司会
 遠藤 乾 ●北海道大学大学院法学研究科助教授

コーディネータ
 ベン・ミドルトン●北海道大学法学研究科研究員
 川島 真 ●北海道大学法学研究科助教授

◆日  時: 2003年1月8日(水)13:00~18:00(開場12:30)
◆会  場: 北海道大学学術交流会館第1会議室
       札幌市北区北8条西5丁目(北大正門横)
◆問合せ: 北海道大学法学部   電話 011-706-3119

●主催:高等法政教育研究センター ●共催:政治研究会

※入場無料、参加ご希望の方は直接会場へお越し下さい。
※自家用車は構内に乗り入れできませんのでご了承下さい。

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報告

 本シンポジウムでは、「近代日本」を改めて捉えなおす視角を如何に得ていくのかということを討論するために企画された。報告者は、国際的に活躍する日本研究者・酒井直樹教授(米国コーネル大学アジア研究科教授)およびブレットド・バリー教授(同上)で、それぞれ「多民族国家における国民主体のポエシス」、「テクノ・オリエンタリズム:W.ギブスン&D.クローネンバーグの文学」というテーマで報告をおこなった。コメンテーターは、植民地史研究の駒込武(京都大学大学院教育学研究科)、メディア史の佐藤卓己(国際日本文化研究センター)、法社会学の尾崎一郎(本研究科)が担当した。酒井教授は、戦前日本の「帝国」ナショナリズムにつき、特にそのマイノリティ包摂のありようを、台湾人作家の日本語作品における「日本人たらんとする姿勢」を縦軸に、他方で同じく戦時アメリカの日系人を描いた『ノーノーボーイ』を横軸にして比較的視点から描く。そこでは、歴史における優位者の抑圧的行為と少数者の屈辱と自尊心、「抑圧の委譲」からの自由などが指摘される。この議論は、『総力戦下の知と制度 1935-55年』(<岩波講座 近代日本の文化史7>、2002年)において酒井・駒込が位相を異にしながら論じた点である。ド・バリー教授は、映画・「M・バタフライ」に対する周蕾、またあるいは映画・「ブレードランナー」で注目された「テクノ・オリエンタリズム」などを取り上げ、昨今ではオリエンタリズム批判を吸収したアジア的他者の表象が様々なかたちで、たとえば敢えてレトロ・オリエンタリズムを身にまとい、アイロニー臭を感じさせながら現われてきているとした。これは9.11によって相当かわったとしながらも、昨今のアメリカのアジア的表象、日本のありかたを鋭く切り取った。両教授の報告は、既成の認識構造を脱構築し、新たな《日本近代像》を模索、他方で日本への眼差し・オリエンタリズムの変容を指摘した。グローバリゼーションの下にある日本の将来像、現代性のあり方について、会場からの関心も高く、多面的な議論が展開した。特にコメンテーターの三氏から各種各様の問題提起がおこなわれたことが印象的であった。駒込は、歴史学者的な観点から酒井の「歴史」「史料」の扱いに対して自らの心情を述べ、佐藤は自らのナチスメディア研究の成果からド・バリーの報告を相対化せんとし、尾崎は酒井とド・バリーの報告内容を図化できるほどに整理して見せた。アメリカにおける日本論がアメリカにおける思想潮流などの背景の下にあるとはいえ、日本における日本論に与える刺激は常に大きなものがあろう。

(川島 真)