J-mail No.22 2006 Autumn

CONTENTS・・・・・・・・・・・・Autumn,2006
●J-Review:齋藤純一
●Research Update:空井護/人見剛
●Juris Report
●Art&Culture:小名木明宏/山下龍一
●From Abroad:小森光夫
●Information

 

J-Review

いまを、斬る●
情念の政治

 TEXT:齋藤 純一●早稲田大学政治経済学術院・教授
     JUNICHI SAITOH

1

 最近、マイケル・ウォルツァーの『政治と情念』(Politics and Passion, 2004)の翻訳を終えた(風行社から近刊)。かれは、この本で、情念を政治から締めだすことはできず、「熱」(heat)を「光」(light)によって置き換えることは不可能だと強調する。この主張が、論拠の吟味を通じて合理的な意思形成・意思決定をはかることを求める「討議デモクラシー」の構想に対して向けられていることは明らかだろう。ウォルツァーは、情念なき政治は無力であり、情念の契機を排除しようとする合理主義は、むしろ、既存のヒエラルキーの維持に手を貸すことになるとも警告する。とくに眼を惹いたのは、ヒエラルキーの下方に蓄積される情念に注目しなければならない、というかれの指摘である。そうした情念は、暴力をはらんだ「血に染まった濁流」を解き放つ源泉であると同時にラディカルな社会変革(「反ヒエラルキー」の政治)の源泉でもありうる。
 そうした両義性に留意するだけではなく、中産下層を含むヒエラルキー下方に堆積する情念は、「反ヒエラルキー」とはいえない政治に動員されるものであることにも眼を向けなければならないだろう。現状への憤懣(resentment)がそれを生み出している当のヒエラルキーを支持し、むしろ強化する方向で動員されることは、小泉前首相のもとでの国政選挙にも看取されるだろうし、W. コノリーが分析するように、同様の情念は、アメリカにおけるキリスト教原理主義と企業家資本主義との「共鳴マシーン」を底支えしていると見ることができる。
 そうした情念を非合理的なもの、危険なものとしてと見なし、それをいかに抑制するかと問いを立てるのは容易だが、現状への憤懣それ自体は、それが「敵」をつくり、それを罰しようとするルサンチマンに凝固するのでないかぎり、現状に対するオールタナティヴを探ろうとする政治的な思考や実践の豊かな源泉でもある。政治における情念の機制を分析し、理解することは広い意味での政治理論にとって最も重要な仕事の一つだと思うが、この仕事は、残念ながら、まだアカデミックな課題として定着するにはいたっていない。

 

Research Update

普通でないから面白い日本政治の研究

空井護●現代政治分析 教授

2

 本年度から法学研究科および法学部で「現代政治分析」を担当しています。主たる研究分野は戦後日本の国内政治です。戦後日本の政治体制は議院内閣制型のポリアーキーであり、このこと自体にさほどの特異性は認められませんが、普通のポリアーキーのもと、38年間もの長きにわたり政権交代が生じなかったのは、それほど普通の話ではありません。自分が根っからの普通人であるためか、この普通でない話がどうしても気になってしまい、自民党一党支配の展開過程の分析を続けています。
 目下の関心は,1970年代における自民党一党支配の動揺が、いかなる形で80年代における弛緩、ひいては93年における突然の終焉を準備したのかという点にあり、議会内での地位に関して大きな差があるものの、同じく保守党による長期政権が展開したイタリアとの比較を試みつつ、ゆるゆると考察を進めているところです。講義や演習を通じて現代の政治学理論に再検討を加え、そこで得られた知見を研究に反映させることできれば、と思っています。

 

リハビリを終えて

人見剛●行政法 教授

3

 前任校の都立大の破壊・クビ大設置をめぐる戦いに一敗地にまみれ、研究者としての再出発を期して北の大地に来てから1年半が過ぎました。
 この間、リハビリと称して怠惰な時を過ごしてきましたが、研究らしいこととしては、この数年幾たびも着手しながら仕上げられなかった、明治初期の土地の官民有区分における「官有地」概念に関する小論を一応書き上げたことがあり、公表はまだですが自分の中では最も嬉しいことでした。また、中国遺棄毒ガス訴訟や中国残留孤児訴訟に関わるすぐれて実践的な意図によるものですが、国家賠償法上の作為起因性の不作為責任すなわち「先行行為に基づく条理上の作為義務」論の深化に努めてきました。
 今後は、この10年以上断続的に続けてきた行政行為の効力論とりわけ公定力の客観的範囲に関する研究を進め、まとまったものに仕上げることに力を傾注したいと考えています。ただ、もう一つの重要な研究フィールドである地方自治法についても課題が多く、思うに任せない今日この頃です。

 

Juris Report

センター・シンポジウム
「地域社会と男女共同参画社会基本法 ―札幌市の取り組みと共に考える―」

2006年06月23日(金)

スピーカー:長田みどり●札幌市男女共同参画課長
コメンテーター:尾崎一郎●高等法政教育研究センター教授
コーディネーター:長谷川晃●高等法政教育研究センター長

 本シンポジウムでは、1999年に成立した<男女共同参画社会基本法>のその後の影響がテーマであった。この法律は、男女が相互尊重・同権のもとに個性と能力を十分に発揮できる共同参画社会の実現を目指す礎であり、日本社会に伏在するジェンダーの諸問題を是正してゆく重要な第一歩となるもので、男女の人権の尊重、政策等の立案と決定への共同参画、国際協調などの基本理念を定め、これらを承けた政府や地方自治体の計画策定を求めている。それから7年を経た今、「男女共同参画社会」という理念が社会、とりわけ地域社会の中でどこまで浸透し、定着して来ているのか、同法が求める政府や地方自治体の計画策定、特に身近な地域社会における自治体の取り組みがどう立案され実行されているのか、またその担当者たちはどのような活動を試みているのかという視点から考えることが、本シンポジウムのテーマとなった。ゲストには札幌市の男女共同参画行政の先頭に立っている長田氏を迎えて、忌憚のない形で実践面での意義や課題を語ってもらったが、そこで浮き彫りになったのは、男女平等の重要性は誰もが一応の理解を示しながらも、現実の問題状の認識において不十分であること、特に男性の理解がまだ足りないことであり、中央では法律の整備や高い問題関心が維持されても、それが地方に及ぶにはまだまだ時間がかかるという実態であった。そのような現況を少しでも改善してゆくために、このシンポジウムも一つのきっかけとなればと願った次第である。

4

センター・シンポジウム
「〈法と心理学〉の現在」

2006年07月26日(水)

スピーカー:木下麻奈子●同志社大学法学部教授
   菅原郁夫●名古屋大学法学研究科教授
   仲真紀子●北海道大学文学研究科教授
   藤田政博●政策研究大学院大学助教授
コメンテーター:高見  進●北大法学研究科教授
   白取祐司●北大法学研究科教授
   尾崎一郎●北大法学研究科高等法政教育研究センター教授
   松村良之●北大法学研究科高等法政教育研究センター教授

 20世紀の最後の四半世紀にアメリカを中心に興った「法と・・・」(Law & ・・・)という法学革新の動きの中で、〈法と心理学〉(Law & Psychology)は現代心理学の展開と共に進展しながらも、必ずしも大きく注目されたわけではなかった。しかし、特に認知心理や発達心理などの領域での現代心理学の飛躍的発展と法実務の多様化・複雑化に伴って、今や<法と心理学>の動向は決して見逃せなくなっている。そこで本シンポジウムでは、<法と心理学>の意義や可能性を再考する機会を持つことにした。スピーカーはいずれもこの領域で活躍されている方々であり、木下氏は「弁護士と依頼者の認知の差とコミュニケーション」について、菅原氏は「訴訟過程の心理学的評価と訴訟政策」について、仲氏は「少年事件における少年の取調べについて」について、そして藤田氏は「裁判員制度導入により生ずる『法と心理』学的諸問題と研究例」について報告され、各報告に対して、北大法学研究科のスタッフの側からコメントが加えられた。質疑応答においては、心理学=実験的手法による法の理解の意義、法心理学と法実務との相互連携の可能性、心理学的知見を生かした少年事件処理の可能性、裁判員制度の将来像と心理学からの寄与の可能性などの論点について、活発な議論が交わされた。

5

加藤周一 講演会
「9条:未来への選択」

2006年7月21日、クラーク会館大講堂において、北大学術創成プロジェクトとの共催により、評論家の加藤周一氏を招いての講演会が開催された。

 加藤氏はまず、憲法問題を国内問題として海外からの批判をしりぞけようとする議論に対して、憲法問題は各国の政策展開を左右する中間層の日本認識にかかわる点で、すぐれて国際問題であると述べた。また、9条は理想主義にすぎるという議論に対して、「現実主義」が目標を達成できるとは限らず、その証左に、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など、一連の武力手段による「現実主義」政策は、当初の目標を達成することにことごとく失敗していると指摘した。さらに、9条改正によって、東アジアのなかで政治的に孤立する道を選んでも、アメリカは必ずしも日本の安全保障に最後まで責任を持つとは限らないとした。

 講演会はその後会場との質疑応答に移り、加藤氏は時にウィットに富んだ応答で会場を沸かせながら、「流行している考え方について一年に一回で良いから徹底的に本当かどうか考えてみることが大事」などと語りかけた。
 9条を単に美しい理念として賞揚するのではなく、日本のガバナンスを支える現実的論理として深めていく、その透徹した知見が印象的な講演会であった。

6

COE研究会 ウエンディ・J・ゴードン氏 (ボストン大学法学部教授)

 2006年6月9日(金)、10日(土)の両日、Wendy J. Gordon教授(ボストン大学法学部)を招聘して、COE研究会が行われた。Gordon教授は、9日(金)に“Some Methodologies and Theories for Intellectual Property, and Their Implications and Applications”、10日(土)に“Tensions and Ambiguitiesin Intellectual Property Theories, and Some Suggested Resolutions”と題した報告をそれぞれ行った。著作権を正当化する3つのモデル(高額な取引費用や外部効果がもたらす市場の失敗、著作者の損害に対する埋め合わせ、ロックの労働所有理論)と、著作物利用者の行為が著作権者にもたらす影響の大きさを示す3つのパターン(著作権者の市場に影響をもたらすパターン、著作権者を害さないパターン、権利を認めるとかえって利用者を害するパターン)を組み合わせ、どのモデルが優先されるべきか、著作権を正当化する哲学理論および経済学的な費用便益分析を交えつつ、報告がなされた。
 その後、同教授の論文を輪読した2005年度後期演習における成果が活用され、大学院生も交えた活発な討論が行われた。加えて、学外から小島立助教授(九州大学)、潮海久雄助教授(筑波大学)、今村哲也講師(明治大学)、澤田悠紀さん(東京大学)の参加を得ることができ、議論を深めることができた。Gordon先生をはじめご参集いただいた方々に御礼申し上げたい。

7

 

Art&Culture

伊藤正徳『大海軍を想う』(光人社、2002年)

 戦前、第1級の海軍記者として活躍した伊藤正徳による帝国海軍への想いを綴った三大作のひとつが本書である。
 この他に「連合艦隊の最後」と、遺作となった「連合艦隊の栄光」があり、どれも優劣つけがたい名著である。世界三大海軍と呼ばれ、スマートネスの象徴であった帝国海軍は今や存在しないが、帝国海軍の持つイメージは確実に受け継がれ、今も人々に憧れを喚起するといっても言い過ぎではないであろう。
 明治初頭から無理と合理主義の狭間という二律背反の中で、有史未曾有の発展を遂げる帝国海軍の成長過程を伊藤は冷静に分析し、その完成度の高さを絶賛すると共に、「失われたもの」へのレクイエムとして、先の大戦の愚を説く。著者曰く、「山本権兵衛と加藤友三郎が地下で泣く」と。
 本書執筆の昭和30年当時、我が国の海上交通を巡る国際紛争が頻発していたが、もし、我が国に軽巡2隻さえあれば、こうはならなかったという主張は、単なる負け惜しみ以上の含蓄があるように思われる。

北大法学研究科教授  小名木明宏

8

阿部謹也『北の街にて ある歴史家の原点』
(洋泉社新書、2006年)

 大学院時代に先輩から『中世の窓から』をすすめられてから、研究分野が異なるとはいえ私には阿部は気になる存在であった(今年9月4 日亡くなられた)。
 本書は阿部が一橋大学大学院を出て1965年小樽商大に着任してからドイツ留学をはさむ12年間の小樽での生活を描いたものである。『阿部謹也自伝』よりもこの短編が印象に残ったのは、小樽で阿部が感じた寂寥感が本州から札幌にやってきた私にもひしひしと伝わってきたからである。
 一方、彼が描く「小樽の四季」はとても美しい (40年前はリスがゴミをあさりに来ていたそうだ)。この本のもう一つの魅力は、彼と中国思想史家・西順蔵との20年に及ぶ交流である。たびたび引用される西の葉書を読むと、なぜか阿部のその時々の気持ちが想像できるのである。それにしても20才年上の人との間でこんなにも深い精神的つながりがよく成立したものである(「北見紋別へ」の無邪気なこと)。阿部がこのようなつながりをもっていたからこそ、日本の「世間」を客観視できたように思われる。

北大法学研究科助教授  山下龍一

9

 

From Abroad

小森光夫(国際法 教授)
 
 4月から約半年、ケンブリッジ大学ラウターパクト国際法研究センターに visiting fellowとして滞在した。ラウターパクト・センターは、ケンブリッジ大学の国際法教授で、国際司法裁判所判事でもあったハーシュ・ラウターパクトを継いで国際法のフェローになり最後に教授になった子息のエリーが、父の遺産を基に設立したセンターである。このセンターに16年前に滞在して以来、今回が3度目である。
 同センターには10人ほどの国際法を専門とするフェローがいるが、研究所のフェローのほとんどは生活の拠点として、Trinity, Jesus, Corpus Christiなどケンブリッジ大学に31あるカレッジに籍をもっている。カレッジのフェローの構成はすべての学問分野にわたるから、センターのフェローが属するカレッジの食事に招かれると、そこで他の分野の研究者と知りあう機会ができる。この間、Trinityではアマティア・センと言葉を交わす機会があったし、Corpus Christiではちょっとしたきっかけで生涯の友となる神学者との付き合いができた。おかげで、同カレッジのゲスト・ナイトではいつもハイ・テーブルに招かれ、しばしば学長の横に座らされるという慣れない経験をした。
 ケンブリッジの研究者がカレッジの外でくつろぎの場として使うのが Pubであり、Tea Gardenである。そのなかで世界に名だたる著名人が使っていたことを誇りにしているのが City CentreからCam川を上流に上ったGrantchester(写真)にある The OrchardというTea Gardenである。その名の通り、林檎の木が生える果樹園にテーブルを置いている。なかでも、ルパート・ブルック、バージニア・ウルフ、ラッセル、ケインズ、ヴィットゲンシュタインらがそこを Neo Paganと称するグループの根城として使ったことが、この果樹園を有名にしたと思われる。The Orchardが発行する The History of the Orchardという小冊子には、各人が各人を思いやる文章が抜粋の形で載っている。それを読むと第一次大戦前後の彼らの交流の雰囲気が伝わってくる。ラッセルがケインズの頭脳の明晰さについて書いた一文を紹介しよう。"I was sometimes inclined to feel that so much cleverness must be incompatible with depth, but I do not think this feeling was justified." 現在の果樹園は、英語学校の生徒や子供連れの若い家族などで混雑し、もはやその雰囲気はない。

10

 

Information

  • 11月15日(水)センター・シンポジウム「地域社会と司法改革」と題して、齋藤隆宏弁護士(札幌弁護士会所属)に一実務家としての実感を語っていただきました。北海道は司法の状況もなかなか厳しい様子です。
  • 来る12月16日(土)14時から、センター・シンポジウム「先住民族の権利の現在」が開催されます。憲法、国際法、そして政治学と、多角的な現状分析を試みる予定です。詳細はホームページをご覧ください。

 

Staff Room●Cafe Politique

M a s t e r● 今年度のセンター予算は気づいてみるともう残り少ない。数字を睨みながらのプランニングか続く日々である。

G a r s o n● 法学部棟工事の為、センター長室がクラーク会館に退避してから4ヶ月が経ちました。秋口には沢山のカメムシがお客様にいらして、殺虫スプレーを買いに走ったりしたのも、良い思い出…?早く3月になって!!!

 

Hokkaido University ●The Advanced Institute for Law and Politics

J-mail●第22号
発行日●2006年11月30日
発行●法学研究科附属高等法政教育研究センター[略称:高等研]

〒060・0809 ●北海道札幌市北区北9条西7丁目
Phone/Fax●011・706・4005(3309…平成18年3月まで)
E-mail●jcenter@juris.hokudai.ac.jp
HP●https://www.juris.hokudai.ac.jp/ad/

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