インデックス

北大法学部を目指す君へ―五十嵐健太郎さん

個性を創ること―山本慈朗さん

チャンスを生かす―須藤研介さん

法学部でみつけたもの―牧野さゆりさん

北の大地―中島史博さん

君は、ジェフリー・アーチャーを読んだことがあるか―高見芳彦さん

北海道で可能性の探索―佐野万智子さん

鈍牛が如く~北大法学部・司法試験を目指したあの頃~―高橋智さん

北大法学部を目指す君へ

(株)三井住友銀行 五十嵐健太郎さん

私は今、三井住友銀行で法人営業の職に就き、中小企業の成長をサポートする仕事をしている。日本経済の中心地・新宿に配属され、約70社を担当させていただいており、融資の話から経営全般に関するアドバイスに至るまで幅広い提案を行っている。

そんな私が学生時代に最も打ち込んだことは、体育会男子バレーボール部での活動である。1部リーグに所属していた本学でレギュラーの座に就くために、そして北海道の頂点と七大戦の頂点を獲るために、日々激しい練習に励んだ。結局、1つ目の頂点は叶わぬ夢と散ったが、七大戦では4年間で3度の優勝を果たした。特に4年生の七大戦では、チームの優勝に加えて最優秀セッター賞という個人賞もいただき、有終の美を飾ることができた。4年間苦しい日々を共有した部活の同期は、今でもかけがえのない仲間である。

法学部には色んな学生がいる。当然、必死に勉強するものが大半だろうが、中には私のように部活に熱を入れる者もいる。進路にしても、法曹界に進むもの、公務員を志す者、民間企業に就職するものなど様々だ。しかしいずれの方向を目指すにせよ、法学部の学生たちは皆自分の目指す道に向かって熱心な努力を重ねていた。当時の私がそんな仲間たちから大きな刺激を受けていたことは言うまでもない。

世の中の様々な事象にアンテナを張り、数十もの業種の方々と接し、提案へとつなげていかなければならない銀行員にとって、学生時代に様々な価値観を持った仲間たちと過ごした経験は大きい。その経験が営業マンとしての中核部分を担っていると言っても過言ではなく、私の成長をさせてくれている。北大法学部には、そんな卒業後の成長にまでつながるような、充実した4年間を過ごすためのフィールドが用意されているのだ。

【卒業年次】2008年3月 法学部卒業

【現在の職業】株式会社三井住友銀行 新宿法人営業第二部 約70社を担当し、中小企業向けに融資を中心とした提案解決型営業を行う。

【在学時に興味を持って学習した科目】知的財産法ゼミ (不正競争防止法・著作権法)

【学生時代、勉強以外で取り組んだこと】体育会男子バレーボール部 (北海道1部リーグ所属、七大戦連覇) 大学バレーボール連盟広報委員長 (東日本インカレ札幌開催招致等) 高校教員免許2科目取得 家庭教師アルバイト4年間

【北大法学部を一言で表現すると】カラフル

個性を創ること

厚生労働省 山本 慈朗さん

北海道大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省し、非正規雇用問題や、C型肝炎訴訟、臓器移植法の改正とその施行準備などを担当してきました。常に新しい行政課題に直面する仕事であると同時に、何十年という長い年月の蓄積の上に現れた問題の解決を迫られる仕事でもあります。さらに、少子高齢社会の只中にあっては息つく暇もない日常が続きます。しかし、目の前の仕事に忙殺されていたとしても、法律や政令、省令あるいは指針などの様々な法形式により日本語を駆使して制度を描くこの仕事は、自分の書く文章の言葉一つひとつが大きな意味を持ち、そして、その先に多くの人のくらしがあるということを日々意識しています。

振り返ってみると、高校までを関西で過ごした私が、大学進学に当たって、“北大”を選んだ動機は「北海道という地名それ自体が持つ響きに惹かれた」という、いま考えれば甚だ心許ないものでした。必然的に、私の学生生活は友人と道内の名所を巡ることを中心に動くことになります。

とはいえ、これまで経験したことのない大量の“自由時間”を与えられた学生生活において、北海道特有の気候と風土のもとで経験した様々な出来事は、関東や関西の大学では得ることのできなかった貴重なものであったと思います。

大学で送る“学生生活”は、キャンパスの中で完結するものではなく、アルバイトやサークル活動、旅行など含めたすべての時間が学生生活であり、自分自身の個性を創りあげる上での糧となります。

社会人になり、既存の考え方や制度に囚われない新しい視点からの成果を求められる中において、学生生活に希少な体験をすることは、他者とは少し違った自分自身の個性を創りあげるという観点からは、重要な意味を持ちます。北海道大学というキャンパスとその周りに広がる環境は、きっと自分自身の個性を作るチャンスを与えてくれると思います。

【卒業年次】2004年3月 法学部卒業

【現在の職業】厚生労働省健康局臓器移植対策室

【在学時に興味を持って学習した科目】地方自治論

【学生時代、勉強以外で取り組んだこと】旅行

【北大法学部を一言で表現すると】放牧、放し飼い

チャンスを生かす

インターキャピタルインベストメント(株) 須藤 研介さん

私は、学部在籍中にポーランド州立大学へ1年間、また大学院在籍中にウィスコンシン大学マディソン校ロースクールへ1年間留学しました。卒業後は外資系投資銀行に入社し、企業買収・不動産取引等におけるアセットファイナンスやストラクチャードファイナンス商品組成業務等に従事しました。6年半の経験の後に退社、現在は新規設立した投資ファンドの代表取締役兼ファンドマネージャーとして、投資案件の発掘、分析・評価、案件の実行及び管理・運営業務を統括しています。

法学部で民法、商業等を学び、法律知識を活かして国際的な商取引に携わりたいと米国留学を決意したのが大学3年次でした。今振り返ってみても大きな決断だったと思いますし、このようなチャンスを与えてくださった北大法学部には本当に感謝しています。米国では、米国ビジネス法に加えて金融、投資、会計に関するビジネス科目を履修。帰国後に参加した北大の金融法ゼミで、当時米国から日本に導入されて間もなかった法的スキームを活用した金融商品に興味を持ち、どうせなら本場で本格的に理解を深めたいと大学院1年次に再度米国のロースクールに留学。卒業後の就職先に外資系投資銀行を選んだのは、学んだことをそのまま活かせるチャレンジングな職場だったからです。学生時代に学んだ法律知識は現在でも法的スキームを検討する際等に役立っています。

私にとって、北大法学部は自分の可能性を広げるチャンスを与えてくれた場所でした。これから皆さんにどんなチャンスが巡ってくるかは自分次第。色々な事に興味を持ち、チャンスがあればチャレンジし、自分の可能性を広げていって下さい。皆さんが充実した大学生活を送られることを祈っています。

【卒業年次】2001年3月 法学部卒業 2002年3月 大学院法学研究科修士課程修了 2002年7月 ウィスコンシン大学マディソン校ロースクール法学修士課程(M.L.I)修了 (北海道大学大学院とのダブル・ディグリー・プログラム)

【現在の職業】インターキャピタルインベストメント株式会社 代表取締役/ファンドマネージャー

【在学時に興味を持って学習した科目】民法、商法、金融関連法等に特に興味を持って学習していました。米国留学中は、米国ビジネス法を中心に、企業財務分析、投資論、金融デリバティブ論、財務会計論、ミクロ・マクロ経済理論等のビジネス科目も含めて学習していました。

【学生時代、勉強以外で取り組んだこと】陸上競技部に所属していたので七大戦はいい思い出です。留学費用の足しにとバイトを掛け持ち(頭脳仕事、力仕事、接客業等色々です)していた時期があり、仕事を通じてたくさんのいい経験をさせてもらいました。留学中は、長期休みには必ずバックパッキングで米国・カナダを回りました。

【北大法学部を一言で表現すると】自分の可能性を広げるチャンスを与えてくれる場所だと思います。

法学部でみつけたもの

(株)資生堂 牧野 さゆりさん

私は、資生堂に入社し2年半ほど営業や営業企画を担当した後法務部に配属され、その後約10年間を法務部で過ごし、現在はIR部(Investor Relations:投資家・株主向け広報部門)で株主総会や株式実務を担当しています。いずれ法務部に戻ることになるでしょう。

私が進学先として北大を選んだ理由は「地元(札幌)には北大しか国公立総合大学がないから」でしたし、法学部志望の理由も「文系で手に職をつけるなら法学部でしょ?」という程度のものであって、要するにあまりしっかりと考えてはいなかったのです。そんな私が企業の法務部を目指すようになり、一人前の法務担当者になれたのは、北大法学部の教育体制が充実していたおかげであると思います。

もし、皆さんが「面白くて、なおかつ将来に役立つことを勉強したい」と考えているとしたら、法学部は有力な選択肢になると思います。法律の勉強は、それ自体パズルのような面白さがあり、法律が作られた趣旨と実際の事例への適用がカチっと音を立ててかみ合ったとき爽快感は、ちょっとした「アハ体験」です。私は、個性的かつ俊英なる指導教官(田村善之教授)に恵まれたおかげで、見事にこれにハマりました。また、法学部で習得する「リーガルマインド(法的思考)」とは、「事実関係を客観的・正確に把握し、事案に適合するルールを正しく適用し、論理的に結論を導き出す力」のことであると思いますが、これは、法律と直接関係のない場面でも必要とされる力であり、私のキャリアの全てにおいて、私を助けてくれています。

学生生活を終えてからもう十数年が経ちますが、大学時代に見つけたものは現在も私の生活の中に生きています。北大法学部は、きっと皆さんにとっても「何か」を見つけるための良いフィールドとなってくれるのではないでしょうか。

【卒業年次】1996年3月 法学部卒業 1998年3月 大学院法学研究科修士課程修了

【現在の職業】株式会社資生堂 IR部 株式グループ 長い間法務部に在籍していましたが、修行のためにいわゆる株式実務を経験すべく、現在の部署に異動し、上場会社の投資家対応・株主対応・フェアディスクロージャー世界の奥深さと毎日戦っています。

【在学時に興味を持って学習した科目】民法、知的財産法、競争法(独禁法) 興味を持ったというより、これ「しか」やりませんでした。

【学生時代、勉強以外で取り組んだこと】アルバイトと楡法会 アルバイトの中では、某大手通信教育・出版社の大学入試模擬試験の採点のアルバイトが印象深いです。この模擬試験の採点は、大人数の採点担当(アルバイト)を、リーダー(これもアルバイト)がまとめあげていく形で実施・運営されるのですが、これがとにかく楽しかったのを覚えています。楡法会は、当時、事実上その活動を停止していたのですが、一つ上の先輩たちが「復活」:させようとしており、そのお手伝いをさせていただきました。

【北大法学部を一言で表現すると【】「田舎大学の割には(失礼!)教官のラインナップが豪華」 そもそも教官数が充実しているということもありますし、質的にも豪華だと思います。

北の大地

NHK 中島 史博さん

北大法学部の魅力は何かと問われれば、人だけでなく、「北の大地」という言葉に象徴されるように、雄大な自然を含めた、総合力ではないでしょうか。

法学部には、多くの個性的な先生方はもちろん、全国各地から集まった同期生や先輩方、さらに世界各地の留学生がいます。加えて、北大にはあらゆる学部があり、様々な知識や特技、考えを持った人たちと知り合う機会に恵まれています。

それは、まさに社会の縮図ともいえます。 私自身、大学卒業後も、あらゆる業界に友人がいることは大きな財産になっています。

こうした財産を培うには、北海道の雄大な自然が欠かせません。私自身、スキー部に在籍していて、1年のうち100日以上、山に通っていました。冬は、授業が終わると直ちに仲間と車でスキー場に向かい、練習する日々でした。また、雪が解け、新緑が芽吹く春から夏にかけては、ニセコや海でキャンプをして、ジンギスカンを食べ、酒を呑むということもよくやりました。

しかし、自然は、楽しい体験のツールとなるだけではありません。時には、人間の力ではどうにもできない大きな力を見せつけます。厳しく見える時もあれば、感動を与えてくれる時もあります。

本州とは異なる自然での体験を通じて、多くの友人との関係が培われ、今でも貴重な財産となっています。

そして、自然は、時に「癒し」を与えてくれます。失敗したり孤独を感じたりする時もあります。でも、そういう時、自然の中に身を置いてみると、「北の大地」がやさしく包み込んで、力を与えてくれるのです。

【卒業年次】1995年3月 法学部卒業 1997年   大学院法学研究科修士課程修了

【現在の職業】NHK記者 報道局政治部

【在学時に興味を持って学習した科目】アメリカ政治 アジアとナショナリズム

【学生時代、勉強以外で取り組んだこと】スキー

【北大法学部を一言で表現すると】青春の1ページ

君は、ジェフリー・アーチャーを読んだことがあるか

北海道庁 高見 芳彦さん

北海道の地方都市の高校生だった頃、同級生のみんなが大学は東京へ行きたいと言っているのにちょっと反発がありました。

北海道には、あのクラーク博士の北大があるじゃないか、そう思ったのです。

北大法学部は、当時から新進気鋭の教員を多数擁した学問の一大拠点であり、憧れを抱いた学生が全国から集まっていました。そして、広大なキャンパスの中はバブル全盛の時代でもゆったりとした時間が流れていた素晴らしい環境をもった大学です。

なにより、北大法学部は学生一人当たりの教員数では当時から全国でも屈指でした。それは数の問題だけでなく、教員と学生が濃密で知的刺激を直に受けることができるということです。

専攻した憲法ゼミでは公私にわたり熱心にご指導いただきましたが、視野を広げる意味で顔を出した政治学系の演習でも課題図書のレポート指導で丁寧に対応いただいたと思います。当時、一端の読書家を気取っていましたが、「君の読書は偏っている」と教官室で指導を受けた記憶がいまだに強烈に残っています。その時、助教授に言われたのがタイトルの一言です。紹介された1冊でストリーテラーの妙手の虜になり、以来、40歳を超えた今でもアーチャーの新作は必ず読んでいます。

卒業後は、「グローバルに考え、ローカルに行動する」という思いを持って道職員になりましたが、考え方のベースは北大法学部で学んだものです。

この春、母校の卒業生を含む新しい職員を道庁へ迎え入れました。新人研修で彼らに講義をしながら、様々な本を紹介しています。そして、「こんな本も読まずに道職員といえるのか、地域のことを知らずに、我々道職員は一体何が出来るのか」、そう若い職員を「挑発」しています。あの時の教官のような思いを込めて。

【卒業年次】1990年3月 北大法学部卒業

【現在の職業】北海道総務部人事局人事課

在学時に興味を持って学習した科目】憲法。いわゆる「四人本」の中村睦男、高見勝利両教授にご指導いただきました。

【学生時代、勉強以外で取り組んだこと】同級生とCREATIVE Group TAKを結成し、各種イベントを手がける。また、法学部卒業プロジェクト代表として卒業アルバムや卒業パーティを企画実施。

【北大法学部を一言で表現すると】澄み切った青空

北海道で可能性の探索

米国マサチューセッツ州弁護士 ヒューイット 佐野 万智子さん

中村研一教授の国際政治学に感銘を受け北大文学部西洋史学科から法学部に学士入学し、交換留学制度でマサチューセッツ州立大に1年行かせて戴いたので北大には計7年在籍しました。

渡米後、大学講師と企業勤務を経てボストンのロースクールで法学博士を修得し、現在はマサチューセッツ州司法試験を経て弁護士及びプロボノ照会担当として法律相談事務所で働いています。弁護士協会が設立した事務所で非営利団体と弁護士事務所を照会するのですが、州や自治体の経済発展・住宅政策に関わるプロジェクトも多いので政府機関や地方銀行・企業とも仕事をします。プロジェクトベースで様々な組織の指導者層と働けて刺激の多い職場です。

今在る自分の基礎は北大法学部で培われたと思っています。まず非常に優秀でしかも親切な教授陣。講義、ゼミは言うまでもなく、若者の迷いから世界状勢・思想史まで授業外の懇談に先生方が時間を割いてくださった価値は計り知れません。次に北海道の空間が可能にしてくれた広い視野。元来考古学者になりたくて東京の某私大に入学予定でしたが、静岡から東京に出て人生の貴重な形成期をこんな混雑して狭い所で送っては思考も近視眼的になると思い、北大に入学しました。今でもこの選択は正しかったと思っています。最後に国立の中でも特に多く北大に送られた留学生との交流。経済開放直後の中国人留学生を始め、世界各国の学生と親しくする機会は大変貴重でした。グローバリゼーションが様々な角度から進む今、自在に視点を変えられる能力は世界の若者の間で当たり前のものとなりつつあります。北海道で自分の可能性を探索してより大きく伸びてください。

The Future belongs to you.

【卒業年次】1987年3月 法学部卒業

【現在の職業】米国マサチューセッツ州弁護士 Legal Referral Director,The Lawyers Clearinghouse,Boston,Mass.,U.S.A.

【在学時に興味を持って学習した科目】国際政治、国際法、政治学、憲法、アメリカ研究、外国語(英独西ギリシャ語)

【学生時代、勉強以外で取り組んだこと】留学生援助サークル

【北大法学部を一言で表現すると】広い視野を育む大地と教授陣

鈍牛が如く~北大法学部・司法試験を目指したあの頃~

弁護士 高橋 智さん

私は、札幌南高校を卒業して、昭和52年に北大に進学、法学部を昭和59年に卒業し、その後4年を費やして、司法試験に合格して、弁護士になり、今札幌で弁護士をしている。

私が法学部に在籍していた当時は、景気が良く、法学部を卒業したら、大企業に就職したり公務員になるというのが当たり前の時代だった。そんな中、受験生2万人に対して500名しか合格しない(合格率約2%)、しかも合格者の平均年齢は30前後という試験に(ちなみに、現在は2000名合格で、合格率30%程度)、あえてチャレンジしようとする学生達は、周囲から見るとある意味「愚か者」であり、「異端児」だった。大学側も無関心であった。大学の価値は教授の研究内容で決まるという考えだったのだろう。そんな時代にあって、異端児達は、留年時代そして卒業してからも法学部の自習室で勉強していたが、自然と「給湯室」スペースに集うようになっていった。ここには最盛期20名前後の司法試験受験生が集っていた。そして、いつしか彼らは「給湯族」と呼ばれるようになっていた。周囲の一般現役学生から見れば、彼らが使うべき自習室や給湯室を占拠する疎ましい存在だったに違いない。

しかし、北大からの司法試験合格者のほぼ全員が給湯族出身者であったのも紛れもない事実であった。北大からの合格者は、他の国立大学からみて非常に少なく、毎年3名から6名程度だったが、もし、給湯族がいなかったら合格者ゼロという年が何年もあったはずだ。曲がりなりにも北大法学部に入学しようとする高校生に、当時の法学部が司法試験挑戦の灯りを点し続けて来られたのは、給湯族の存在があったからであった。

給湯族は、ただ、お茶を飲み、食事していたのではない。択一試験、論文試験に備えて、皆で、様々な議論やゼミをしていた。仲間から合格者が出ると強烈にうらやましいという気持ちが起きると同時に、あいつでも受かったのであるから次は自分の番だろうと確信することができた。

みんな金がなく、いつも決まった服を着て給湯室に出入りしていたが、時間だけは自由に使えた、そして、司法試験合格という目標に向けてひたすら努力すれば良かった。ある意味贅沢な時代であった。そして、そこには、無謀と思われながら、一途に、鈍牛がごとく最終合格を泥臭く目指す姿があった。

ところが、私が合格を果たした年、現役学生から、卒業生の自習室利用や給湯室の利用に抗議する声が上がった。疎まれていた給湯族は、法学部から排除された。当然ながら、その翌年から北大の司法試験合格者は大幅に激減し、長い低迷期に入る。

今、時代は流れ、司法試験の門戸も大きく開放された。司法試験を目指すことは異端なことでも無謀なことでもなくなった。むしろ、北海道大学は地方の大学にあって司法試験合格者率トップテンに入るような、司法試験に挑戦する学生をサポートしてくれる大学に変身した。

東京の諸大学のようなスマートさには欠けるが、鈍牛がごとく、一歩ずつ、あちこちにぶつかりながらじっくりと真理に近づき、実力を付けていくのが北海道大学のスタイルだ。 北海道大学出身の弁護士、裁判官、検察官は、どの分野でも、泥臭いが渋く輝いていると思う。